1998-03-15 14:00開演 渋谷THE AIR
カルテシリーズ最後である。今回は、娼婦を買って抱かない男の話である。これに雪の降る朝死んだ娘の話が絡む。なぜ男が娼婦を抱かないかというと、それはセックスで感染する病だからだ。男を愛している娼婦は、男の過去を認め、頑なな彼を救ったうえで、彼と結びつく。男が頑なになっているというのは死んだ娘の心残りな点で、彼女は彼の妹だった。
帰る途中に「肉体の喪失」という言葉を思い出した。率直な感想としては、「いまいちよくわからない(どうして「天辺ノ夢」を再演したのだろうか どうしてこの内容を書いたのか)」 それにしても最後にして一番最初と同じ感想を抱くとは・・・
「病」を透して浮かび上がってくるものが、作品の主題だし意図だったと思う。病むと云うことは自分と向き合うことである、というような旨のことをシリーズはじめに当たって述べていたように思う。病気になったときに肉体を意識するというのは本当だし。
現代病という言葉がある。「肉体の喪失」って云うこともその中でよく言われる。別にそういうことは今まで気にしたことはなかったが、大学2年の時に「身体表現」という講義で、嫌が負うにも肉体を意識せざるを得なかった。肉体と精神が一致したというか、存在しているんだな、という実感があった。そのおかげで、心身共にかなり健康的な生活を送れたのではないかと思っている。しかし年度が開けてからは元の木阿弥である。
つまり、肉体の喪失が現代病理のひとつなら、この回あぶり出したのはエイズではなくって、そっちだったのではないかと思ったのだ。
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