宝塚歌劇団雪組 「春櫻賦」「LET'S JAZZ」

1998-04-06 13:00開演 帝国劇場


「春櫻賦」

「帯に短し襷に長し」といった感じだった。ストーリーを追っていくと、「はあ?」という感じだし、かといって和物ショーとしてみるにもちょっと物足りない。制限時間は1時間45分で、その中で琉球から津軽まで一気にみせるほうが無謀な気がする。一本物として上演すれば、こんな中途半端な印象にならないで済んだのかも知れない。

謝名龍山(轟悠)が小紫(月影瞳)を意識する過程、中城安辰(安蘭けい)とゆうな(貴咲美里)とが好きあう過程、阿斗(紺野まひる)が美濃(汐見真帆)を好きになる過程がいっさい省かれ、最後に突然の大告白大会になっちゃうんぢゃ、とってつけたようで、なんだかな〜。大円団なのはともかく、いきなり「さあ旅立とう。それぞれの道に向かって、桜が咲いている場所が、我々の故郷だ。」と言われたって、「えっ」としか思えなかった。なんか、いろんなことが唐突。

とにかく芝居的にみてしまうと、いろいろとつっこみがいがある。けれど、鳩間節に始まり、じょんがらで幕を閉じるなんて、個人的には超うれしい。ちんさぐの花が湿っぽい歌ではないのに、湿っぽい場面で使われたのが納得いかないけれど、鬼太鼓も聞けたし、月影さんの地元の民謡も聴けたし、じょんがらはよいし、民謡物としてみると、結構満足できた。ショーとしてみていれば、話が途中ですっ飛んでいても、別段気にならない。話はやっぱり付け足し程度だと考えるのがよいだろう。谷氏はショー作家のほうが案外向いているのではないだろうか。

余談: 今回は人が死ぬのが二人に止まったのはよかったのだけど、いくら時代的なことがあったといえ、女子供は売られるは、折檻されるは、で、ちょっとその点はいやだ。さすがに色里に売る、っていうのではなかったけれど、そう簡単に「旅芸人の一座にでも売ってしまえ」はないでしょう。問題は「売る」という行為そのものではなくて、「売る」という行為に安直にいきすぎる、ということなのではないんだろうか。人減らしの必要な農民(たとえば小紫のおとっつぁんとか)ではなく、侍(ここでは樺山久高:未沙のえる)が平気でそういうことを言ってしまうのが、なんだかな〜という感じなのだ。あと、親子対面の場面や阿満丸(貴城けい)が龍山を庇って死ぬところで、泣かせようという意図が見えてしまって、泣けなかった。子役の芝居もじめじめしていたし。


「LET'S JAZZ」

まずはじめに、どうして大道具さんが舞台上に登場してしまうのかがわからない。場面転換の限界なのだろうか。総合芸術ということを言うのだったら、大道具さんもセットの一部として扱うとか、黒子の衣装にさせるとか、とにかく何とかして欲しい。

よくこの「LET'S JAZZ」というタイトルが、今まで使われていなかったなあ、と感心してしまった。宝塚はロック系・流行物系をやると9割近くははずすので、やはりシャンソンとかジャズとかが、聴いていて一番安心できる。だけど、ジャズといったって、スタンダードなものとか、SWなんだよね〜。アドリブもないし、ましてやフリースタイルとかヘヴィメタジャズなんかは絶対にない。宝塚のショーでヘヴィメタジャズをやったらどうなるのか、観てみたいぞ(歌い&踊り難そう)。

前作「サザンクロス・レビュー」で演出家が味を占めたのかどうかはわからないけれど、なんかまた拍手のタイミングが難しかった。いつの間にか始まっているし。それにヒップとホップは座席からの登場で、前の人が観るために立ち上がってしまう有様だったのさ。やはり銀橋がないと、ショーはつらいものがある。

個人的には、ティグリングナ・アフリカの場面が好きなのだけど、ちょっと「バロック千一夜」の二番煎じっぽかった。五峰亜希はやはりカッコイイ。雪組に残っていたら星奈優里が対極にいたのだろうけど、いないので、中堅娘役の森央かずみと花彩ひとみがいたのが、正直意外な感じだった。有沙美帆も入っていればよかったのになあ、とちょっとだけ思ったりして。それにしても雪組は踊れる娘役が少ない・・・? ショーはかなり久々に観たので、疲れました。ハイ。


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