1999-07-10 13:30 開演 1000days劇場
舞台の演出・振り付けを手がける宝塚歌劇団出身の謝珠栄氏を演出に迎えたこと、細かいところを作り上げていくのが好きな月組が彼女の演出を受けたことが、プラスに転じていると思った。
演出家の頭の中にあらすじがあって、役者にエチュードをやらせたものを台本にしていくやり方もアリだし、脚本があって演出家の言うとおりに役者が動くのもひとつの方法である。座談会を読んだり、MXTVの番組に出演した謝先生の言葉を追っていくと、この「黒い瞳」は、舞台での動きを生徒に委ねたのではないかと想像できる。どう動いたらいいのかわからない場合に、動機付け(この人はどうしてこの場にいるのか、その理由や背景を考える)というアドヴァイスをしたのではないんでしょうか。群衆というひとつの単位に位置されていても、群衆として構成されている人物はすべて同一ではない。今までの宝塚では「村人」と一括りにされれば、村人以外にあり得なかったのではないのか、そういった意味で「いままでの宝塚にはなかった創り方」(『歌劇』1998年9月号 未沙のえるの発言)なのではないか、と思ったのである。
はじめに「黒い瞳」という題名を聞いて、一方でいかにもロシアっぽいなと感じた反面、もう一方では、NAV CATZEという女性バンドの、インディーズ時代の同名の曲を想起していました。って関係ないんだけど。「黒い瞳」というタイトルはついているものの、これは全編に流れている曲が「黒い瞳」(ロシア民謡)なわけで、ストーリー的にはあんまり関係ない……のかな。大半の人は一度くらい耳にしたことのある曲ではあるだろうし、なかなか効果的に使われていたので、ストーリーとタイトルとの隔たりは、感じなかった。
不満が残った点といえば、終盤に時間的移動を感じなかったことくらいである。エカテリーナ2世に直訴し姿を消したマーシャ(風花舞)を追ってニコライ(真琴つばさ)は、ベロゴールスクへ行くが、そこが衣装も変わりないということもあってか、ペテルブルグからベロゴールスクまで、3日(数字に根拠はない)かそこらでいける距離なのか?と思ってしまったことかな。集中力の欠如と云ってしまえばそれまでなのだが、最終場面で突如そう思ってしまって、やっと大切な人と再会した喜びが減ってしまった。
あと、マクシームィチ(汐美真帆)とパラーシカ(西條三恵)の関係がちょっと半端な描かれ方だったかな、ということ。サヴェーリィチ(未沙のえる)とパラーシカは、座談会では恋人とかって云ってたけど、実際は孫とおじいちゃんって関係くらい。設定や台詞の端々から、パラーシカとマクシームィチがお互い好き合っていることはわかるのだけど、パラーシカがマーシャ付きの女中として登場するほうが多いので、マーシャ・ニコライの恋と上手く絡みきれていなかったような気がしたんである。二組のコサックとロシア人との恋として、一方は破綻し、もう一組は結ばれるという対比でみると、ちょっと不満が残った。もっとも、マクシームィチとパラーシカは、かなり自重しないと我が身が危ない状態なのであるが。
ニコライとプガチョフ(紫吹淳)の友情、ニコライとマーシャの恋を二本柱にし、加えて、名もない村民・コサック達が、前述したように、本当は名のある人々を演じていて隙がなかったことで、説得力のある、密度の濃い仕上がりになっていた。
意外にも肩すかしを食らったのが、ショーである。座談会を読んだときのワクワクした感じが、実際に舞台を観て調子外れだった。ボレロは嫌いではないし、タンゴも好きだ。なのにどうして?と考えていったら、「レッド・ランタン」と「カルナバル・インフェルノ」がいまいち私のツボにはまらなかったんだと思う。前半から中詰めにかけて、乗りきらなかったのが原因かな。
「レッド・ランタン」は、白人の女の子をさらってきて阿片に酔わせるという内容で、真琴つばさは暗黒世界の(というより裏社会の)プリンスである。ここまではよかった。熱血青年もいいけど、こういう悪い人も似合うよね〜。これに怜悧さが加われば最高かも、なんて思ってしまったんだ。しかし、なんで中国人不良少年達の歌う歌が「Mission Impossible」なんだ?日本語の詞があてられていたけれど、聞いていてちょっと、いや、かなりマヌケ。おまけに、浚われてきた白人少女たちが着るチャイナ服がチープなんだな。どう見たってあれぢゃあ、どっかのパブの女の子である。「チャイナ服DAY」とかいってさ。おかげで、裏社会で阿片窟で妖しく危険な香りが吹っ飛んでしまっていた。なもんで、興がそがれてしまって、ひたすら「あのピンクなんとかしてくれ」と思っていたのである。
「カルナバル・インフェルノ」は、これが中詰め。だけど、ルシファーとユリディスとオルフェの三者の愛を中詰めに持ってきたほうに無理があるのではないかと…… ROCK(やっぱりどこか一昔風)での顔見せはいいとしても、なまじ前後に三角関係を描いてしまっているので、場面としては中途半端な気がした。音楽も、もうちょっと格好いいのを期待していたから、三木章雄氏なのでどうしてもR&Rっぽくはなるだろうとは思っていたけれど、イメージ的にルシファーには合っていなかったね。ここは音楽的につまづいてしまったのである。でも顔にヒビの入った真琴つばさは格好良い。ここでまたもや「サイコパスキラーが似合うだろうな〜」と夢想に耽ってしまった。
特によかったのは「ブルー・モスク」。私はこういうのが好き、という単純な理由もある。これは、モスクでお祈りしている青年(回教徒ではない)が古代から蘇った総入れ墨の女達と踊り、最後は…という場面である。後ろから2列目の席で見ていたので、ジャスミン(風花舞)やタトゥーたちの肌にフィットした入れ墨の衣装が、入れ墨を地肌に掘ったように見えなくもない。これはぜったい肉眼で観ることをお薦めする。スモークが焚かれちょっと霞んだように見えるあたりが少し幻想的。
今回のショーはエスニックなリズムをテーマにした構成だそうだ。最後ボレロに帰結するあたりエスニックかといわれればちょっと違うような気もするけど…… でもいつかまたエスニック・ショーをつくったときには、今度は是非ラフマシーンの曲を使っておくれ。
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