宝塚歌劇団雪組 「心中・恋の大和路」

1999-02-09 14:00 開演 日本青年館大ホール


書きっぱなしのまま、放置してしまった… いや、でも良い作品というのは、いつ観ても良い作品である。良い作品が名作か、というと、某理事長のような例があるので一概には言えないが、断言しましょう。『心中・恋の大和路』は、名作である。脚色可能な近松作品ということもあって、最後雪山に閉じこめるという風にしたのは、結構宝塚テイストだと思う。シェイクスピアなんかもそうだけど、比較的新しい作品で「オリジナル通り」という注文が原作者ないしは原作血縁者(関係者)からでるより、古典で宝塚の解釈ができる作品だったからこそ、うまくいったという部分もあるのではないかな。

しかし、今後『心中・恋の大和路』が再演されるかな、というとちょっと不安。いろんな理由があるにせよ、日本物の上演が減ってるなか、これから日本物ができる役者が減っていくことになると思う。今回は、偶然にも汐風幸という人がいて、相手役に洋服よりも着物のほうが似合ってた貴咲美里がいて、前も出演していた専科の人たちがいて、という具合で上演できたけれど、10年後はどうだろうか。

そういうわけで、これは一度観ておくとよい。もう劇場ではやってないけれど、TCAからヴィデオが出ているし、もしかしたらWOWOWで販売ヴィデオを放映するかもしれない。ただの目の肥やしになる人もいるだろうけれど、役者や組の好き嫌い、日本物だから観ない、というわけわかんない選り好みはやめて、なんらかの形で目にすることをお薦めする。

さて、1日の客席の様子をみて、「千穐楽のチケット余ってる!」という不謹慎な期待があったので、観劇後CNプレイガイドに行ったらやっぱりあったから、迷わず購入した。初日とか千穐楽のお祭りっぽい日の観劇は初めてなのだ。

月組も花組も公演が終わり、宙組の人が東京にやって来る頃なので、この日は生徒さんがたくさん見に来ていた。私が見たのは和央ようかさんだけど、矢吹翔さんや鳴海じゅんさんもいたと周りの人は言っていたし、少なく見積もっても10人は見に来ていたんぢゃないかな。和央ようかさんが登場したときの2階の騒ぎはすごかった。誰かが「タカコさんだ」と云った途端ほとんどの人が座席から立ち上がったからね。とにかく、観劇に来る生徒さんは、見に来ているのか見られに来ているのか、という状態である。

そして、一度やってみたかった、千穐楽レポート。一晩(以上)寝かせた記憶に頼っているので、ちょっとアヤシイかもしれない。

アンコールで梅川・忠兵衛がお辞儀をしたあとも、客席は拍手の嵐。幕が開いて、下級生から登場した。

副組長灯奈美さんは、かもん太夫のまま、専科からの応援に感謝し、組替えで雪組に加わった、美郷真也さん、朝海ひかるさん、蘭華レアさん、雪組配属になった研一出演者の麻樹ゆめみさん、貴船尚さんを紹介。そのあと、中日公演と春の大劇場公演の営業*をしていた。場内複雑な笑いが拡がる。

「忠兵衛から皆様に一言よろしくお願いします」とかもん太夫に促され、“忠兵衛”汐風幸は、「私が亀屋忠兵衛です」と上方訛で云ったあと「標準語に戻します」と話し始めたが、言葉が続かない。「いろいろ考えてたんだけどな」と云いながら、「ど〜しよ〜」を連発していた。スタッフ、出演者、先生方、出演しないのに稽古に付き合ってくれた生徒さん、観客に感謝の辞を述べました。大和路について話し出したらきりがなくて、みたいなことを言っていて、それはぜひ、飲み会で語りモードに入ったときに聞いてみたい。云いたいことがたくさんありすぎて言葉をつまらせるコウちゃんに、「コウちゃん、日本一」というかけ声がかかっていた。

10年ぶりの再演だし、「父子揃って忠兵衛役者」とか云われていたし(それなら「先祖代々」ではないか)、忠兵衛を演るのにはすごいプレッシャーだったと思う。無事に千穐楽を迎えられてほっとした気持ち、忠兵衛から解放された安堵感、忠兵衛役を演じることのできたうれしさ、みたいなことから泪ぐんだりもして、忠兵衛に対する思い入れの深さが感じられた。締めの言葉を忘れて、後ろに「なんでしたっけ」と訊いてから、

汐風「それでは、皆様」
出演者一同「おおきに〜」

客電が点いたあとも拍手がなり止まなくて、再び幕を開けて出演者がお辞儀をして、ようやく『心中・恋の大和路』は幕を閉じたのだった。


作品によっては、始めから終わりまで集中できなくて、時計ばっかり気になるものがある(たとえばU氏のとか)。しかし、『心中・恋の大和路』は、私に珍しく、ガーッと入り込んでしまった。それは、劇場が小さい(といっても、青年館のキャパはバウの倍ある)ということや、周りの雰囲気、前評判もきっと作用しているのだけど、それ以上に、脚本がしっかりしている(矛盾がない)と云うことが大きい。

だけど、個人的に「ここは・・・」と云うところもあった。たとえば、第一幕第六場の裏木戸で、梅川(貴咲美里)の手付け金として槌屋に払ってしまった、八右衛門(朝海ひかる)の銀50両を、忠兵衛「貸しといて」と頼むところ。後半の悲劇に向かっていく、最初の一歩を踏み出す重要な場面である。重くならないように笑いに走るのはいいんだけど、いままでの流れを崩しすぎでは、と感じた。

でも、千穐楽とあって、いろんな点で皆グレードアップしていた。なかでも、森央かずみのおかねはすごくて、「立て板に水」の諺を実感してしまった。ぺらぺらぺらぺらペラペラペラペラ本当によく舌の回ること。一気に喋るので聞いてるこっちも息が詰まって、一緒に「ふ〜」と息をついてしまうけど、やたらと重たい雰囲気の梅川・忠兵衛に対して、おかねは、説明的な台詞とはいえ軽いので、苦痛ではない。忠三郎を呼んできますと退場するときに、

「ほんまに○○(←よくききとれなかった たぶん汐風の父か兄の名前だと思う)にそっくりや〜」

とアドリブを云って去っていった。客席、拍手してヨロコブ。

おまん(愛耀子)も、ふぐっ面するときに、毎度のことながら、はち切れんばかりにほっぺたを膨らませていた。前に与兵に言い寄ってる、と書いたのはちょっとウソだったね。でも、庚申さんへ一緒にお参り行かないかと誘い、「与兵さんになら、手ェ握られてもいいわ」って、それって・・・。三太(麻愛めぐる)も、憎たらしい小僧ぶりで、小・中とああいう男子って同級生にいたよな〜、と思わずにいられない。

そして、庄介(蘭華レア)。寝坊して少し掃除に遅れたときに、言い合いしているおまんと三太に向かって「オハヨー」と云うところが、GOOD。タイミングとか言葉の調子とかも絶妙だし、おまんが放り出した箒をさりげなく拾って、掃こうとするところが、良い。ああいうことが毎日なら、おまんが庄介のこと好きになるのわかるよ。でも、三太とふたりでいたり、キレたおまんから逃げるあたりは、やっぱり13〜14の男の子なのである。あと、お揚げさんを巡っておまんと三太が言い争っていたときに、「番頭さん少しお疲れのようやから…」と戒めるのが、優等生っぽくなくて佳。

それで、梅川・忠兵衛とふたりを取り巻く人たちに関しては、これはもう自分で観て確かめてください、という感じなのだ。私の鑑賞能力のなさや文章能力のなさが、書けば書くほど露呈するので(だって、よかった、しか書けないもん)、ここら辺で筆を置くことにしよう。


営業*

「残りの雪組生は、名古屋中日劇場で2/2〜2/21まで、『浅茅が宿』『ラヴィール』を上演中です。皆様、千穐楽までにはぜひ一度足をお運びください」
「今度雪組生が全員揃いますのは、4月からの大劇場公演、(略)、春のご観光に、ぜひ足をお運びください(←ちょっとこのへんあやふや)」

しかし、客席の笑いをものともせず、淡々と話し続ける灯さんであった。


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