宝塚歌劇団花組 「Endless Love」

1999-06-22 12:00/16:00開演 日本青年館大ホール


6月26日は、雨の特異日といって、雨の降る確率が異常に高いんだそうだ。しかし、どうだ。空は曇り、すごく蒸し暑い。雨なんて降りやしないし、持っていった長い傘が、とても邪魔。でも、朝方に宝塚の夢を見たので(しかも星組。星奈さんもいたが、メインはノルさんの挨拶さ)、観る前からけっこう気分は良かったです。

『Endless Love』は、ふたり目の宝塚女性演出家・児玉明子さんの作品だ。デビュー作がいきなり東上だよ。荻田さんの『夜明けの天使たち』も変則的とはいえ青年館→バウと行ったし、植田景子さんの『ICALUS』も今度青年館あるし、若手がスゴイことになってるんである。

その『エンドレス・ラブ』、さすが若い……というのか、年がほとんどかわらないくせに偉そうなんだが、内容が非常にビミョーだった。でも、輪廻転生、永遠の愛って云うテーマはとっても宝塚っぽい、と感じたわけだ。だって、今は科学が発達しちゃって、いるかいないかは別としても、異なる次元の何かと楽しむ余裕ってないぢゃないですか。それを当たり前のように隣いるものとして描けるのは、随分前に漫画家はやめてしまった杉浦日向子さんなのだけれども、「夢を見せる」のが宝塚なら、別に生まれ変わりだろうが幽霊だろうが観るときの約束事としてみれば、別になんの違和感はないわけでして。

結果として、おもしろかった。良かったって言い切るには、ちょっと躊躇する部分もあるんだけれど、2回見て2回とも楽しめた。ソワレはG列だったのだが、後ろを伊織さんと蘭寿とむさんが通ったんですよ。客席からの登場ってヤツです。今までそういう至近距離な経験ってなかったから、もう感激しちゃいましたね。チケット買ったときは随分下手よりぢゃないかと思ったものだが、こういう特典があるとは。

今回、とても印象深かったのは、ジャムナ河のほとりでバシームの父(風緒いぶき)を人質に交渉を迫るジェームズ(矢吹翔)に、ジューン(大鳥れい)が「卑怯者!」って叫ぶ場面。すごくまっすぐに声が通っていたし、ジューンの何があってもバシーム(伊織直加)とは離れたくない意志の強さとか、前に立ちはだかる障害(チャールズというよりジェームズ)に対する怒りとか、良くも悪くも若いって云うのはこういうことなんだな、というのが感じられた。イギリスの閉ざされた社会からインドに来ることによって解放された様子も、はじめにジャムナ河渓谷でバシームに喋りかける場面共々、よく表されていた。ジューンといえば、もちろん、ラブシーンも濃くってよかった。パーティーを抜け出してバシームとワルツを踊るところ、ふたりが横臥する部分はディープに抱き合う風に変わっていた。ワルツを踊りながらなぜだか倒れ込むよりも、バシームがよろけて壁にジューンを押しつける形のほうが流れとしては自然です。伊緒さんがターバンをほどくところは、もうどきどきしちゃいました〜。

はじめのジャムナ河でジューンがバシームの手を導いて額からツッーっとおろすところ、あそこはふたりに朱色の光が当たっているのだけれど、そこはなかなかいろいろ暗示的でしたね。2幕でも、息子を抱きしめる母のところで同じように朱色の光が下りるけど、そこではバシームがマーク(伊織直加=二役)に憑依しちゃう。でも、バシームとジューンがひとつになるって意味では、1幕を踏襲しているのでとてもいいですね。関係はないが、宮沢賢治の書いたものに『ひとすじの光』という話があるけれど、そのひとすじの光ってああいうものなのかな〜と思ったわけです。しかし、ジャムナ河の渓谷ってことは断崖絶壁ということなんだろうけれど、一幕最後でバシームの後を追って身を投じたジューンはなぜ生きていたのか、ちょっとナゾだったりして。

出展がいろいろわかる作品ではあるけれど、1部のチャールズ(春野寿美礼)って好きだ。春野さんが超カッコイイってこともあるんだけど、これからバシームとの逢い引きでいそいそと出かけるジューンに迫るところなんか、けっこう好き。オモシロクないって顔が好いんだな。無理矢理ジューンにキスしようとして酒臭いって咎められて、「あいにく飲み続けなモンでね」(だったっけ?)っていうところ、ああなんてチャールズって、って思っちゃいましたよ。根がイイ子ちゃんだから、酔っ払って制御不可能な感じが、また、爽やかな春野さんに意外とはまってた。でもどうして、ああもみんな殴るかな。

といいつつ、この話は笑っちゃうか話にガーッと入っちゃうかのふたつにひとつしかないのも事実で、そこがビミョーな点でもある。だって、輪廻転生って云っておきながら、マークがバシームの子供だっていったら、輪廻転生にならないぢゃないか〜。正真正銘チャールズとジューンの子供で容姿もバシームに全然似てないのに、マークのやることなすことすべてがバシームってなら、話は別だけどさ〜、そのほうがずっと輪廻転生っぽいし、ジューンの「あんなことがあった、こんなことを言った、どうしてこの子が・・・・・・」って云う動揺・恐怖は深いわけですよ。よりにもよって最愛の人が、道徳的に愛しちゃいけない息子に生まれ変わってるんだから。2幕は1幕でバシームが云ったことをジューンも云ったり、ジューンやバシームの言動や行為と同じことをマークもしているのだし、バシームとジューンの間にできた子でバシームにそっくりってのは、どうかと思うわけだ。とどめはエイミー(夢路ほのか)が「マーク様って伯父様にちっとも似ていないのね」って、そりゃあ、父親が違うんだから当たり前ぢゃないか、というわけで、客席は笑うしかリアクションがないのである。

バシームを殺すのも、チャールズからジェームズになっていたあたりが、ちょっとどうかな〜と思った。チャールズがバシームを撃ち殺したことによって、2幕でマークにバシームを重ねることによって罪の意識に最悩まれる、という点がわかりにくくなったんぢゃないかな。バシームを陥れたのはたしかにチャールズだけど、不可抗力でもなんでも直接手は下していない。「母のためにも、せめて母が生きている間だけでも結婚してほしい」というくらい母想いならば、アリス(絵莉千晶)が死んだことを知って「おまえのせいだ」とバシームに向かって引き金を引くのは、チャールズでないといけないはずではないかな。

それと2幕がマークの自分探しになってしまったのも、作品に中途半端さを与えていた。バシームとジューンのようにスィミー(沢樹くるみ)との間の一気に惹かれ合う激情も感じなかったし、第一、大鳥れいが始終コワイ顔をしているのも、なんだかな。バシームとジューンの永遠の愛を描くなら、マークの自分探しはもうちょっと形を潜めるか、憑依ぢゃなくって、完全にマークがバシームの生まれ変わりにするかにしたほうが、個人的にはいいんぢゃないかと。

被差別階級の描き方も、特権階級の描き方も、宝塚の今までのものと同じで、余りなじめるものではなかった。たしかに「インド人」は気になったね。明らかに差別の対象として用いているので、もうちょっとほかに言い方はなかったものかと思うわけですよ。いくら舞台がイギリス統治下のインドとはいえども。あと、最初の暴動の場面でインド国旗を持ち出してきたけど、エリザベートのハンガリーぢゃないんだからさ、と思ってみたりしました。

さて、インドではスパイスを使って煮込んだものすべてがカリ=カレーであるけれども、カレールーという言い方は本当にするのでしょうか。厨房でのジューンの歓迎会はとてもたのしかったです。ツウさんは、ジューンの乳母役で、食べるの大好き、現金大好きで、サイード(風人夕真)と共に気を抜く場面担当だったのだけど、「ジェリー・ビーンズ」ってお菓子の名前だったのが、ウレシイ。

とにもかくにも、演ぶぢゃないが、「若手ワカッテ」てな感じで熱くて、バシームとジューンもアツアツでラブラブな、ラブシーンも濃かったのでよかったです。

endless love アラビア文字風 これはアラビア文字風ですが、字体が変わると、また違った趣がある(?)。プログラムのヒンディ語風ロゴはなかなかイイカンジ。音楽もハードロックあり、シタールジャンジャン鳴らしたものもあり、なにげにドツボにはまった作品でした。


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