1999-08-21 15:30開演 1000days劇場
暗いですねぇ。でも、決してわかりにくい話ではないと思うのだ。主題は単純だし、イブ(真琴つばさ)の心象風景を観ているのだから。話が前後するのと、イメージと現実が入り混じるから、小劇場慣れしていない人には「難解」と感じてしまうのかもしれない。イヴとアデル(檀れい)の恋も、戦時下の敵味方で極限状態と云うこともあるから、宝塚っぽい甘いムードは皆無。加えてラストもルシル(檀れい=二役)の言葉によってイヴが一歩前に踏み出すところで終わるから、「エ?終わり?」と思ってしまうのだな。「宝塚を観る」という感覚だとキツイのは確かだ。
観劇前の感触では、宝塚版風琴工房的な話と思っていたのだが、やっぱりそんな感じだった。しかも、文芸坐ル・ピリエで観た『カスパー彷徨』や『人魚の箱船』系統で、このテの話は好きさ。
そんなわけで、内容に対する不満は、とりたててない。とか云いつつも、ベルジェス(汐美真帆)の位置づけが中途半端だったかな。一般人のルシルに「なんかあの人、あやしくない?」と云われたりなんかしたら、スパイはやっていられないと思うのは、気のせい? だから、最初から曰くありげな人物造形も疑問だった。エドアール(嘉月絵里)・ルシル兄妹に対する「社会福祉局員」としての顔と、その時以外に見せるエージェントとしての顔の二面性がはっきりしていればおもしろいと思うのだが、なまじエドアールとの間に「ある契約」が成立しちゃっているから、それもむつかしいし・・・
もう一カ所つっこむとしたら、ドミニク(夏河ゆら)がイヴにお別れのキスをしたあとに「心のこもらないキスね」と云うところでしょう。ドミニクはイヴに近づきすぎて任務をおろされるが、イヴと付き合っていた中でそれは既にわかっていたことではないか、と思うのだ。イヴが割と機械的にキスしていたように見えたから(気のせいかもしれないけど)、そこはわざわざ云う必要はない、と感じた次第。
今回特に印象に残ったのは、シヴィルの那津乃咲。本当に上手い。宙に浮遊し漂っている様に見えるところが、アリオンが見せる夢幻と現世との橋渡しをしているということを醸している。彼女自身も、実際彼岸と此岸のどちらに存在するのか、不思議でした。それが巫女の性分なのでしょう。「なんて?」と尋ねる口調や「ウフ、ウフフフ」と笑うのが、「正常」「普通」とは違う場所にいて、それがシヴィルという人なのだと納得できる。
第1場Dでアデルがアリオンの黒マントにくるまれて消えていく部分も、暗転をうまく使っていて、またそれがイヴのトラウマっぽくって、印象深い。ついでに、穂波亜莉亜・水島あおい・苑宮令奈の3人組も、いろんな所にでてきて、非常に目についた。
セットが簡素で、大劇場で観るとかえって新鮮だったりして。個人的には、瓦斯燈が吊り物で上から下りてくるのはいただけなかった。色彩も暗いので、やはり中・小劇場向けだと思う。音楽は螺旋を描いて墜ちていく不安なもので、これがまた、イヴの前に踏み出せずにいる心を見事に捉えていて、ぴったりだった。そういえば、Nav Catze というバンドに「螺旋階段」という曲があり、それは階段を上っていく感じの旋律なのだが(詞は沈んでいく)、「螺旋のオルフェ(イヴのテーマ)」にしろ「螺旋階段」にしろ、リズムを3つ刻みにするのが、螺旋というのは、そんな感じなのだろうか。
しかし、この『螺旋のオルフェ』のイブの悪夢は、なんだかZABADAKぽくて、「飛行夢」(これも8分の6拍子だ)「砂煙りのまち」なんて、見事にはまってしまう。もし音楽が外注で、上野洋子とか吉良知彦に頼めたのなら、唾涎ものというか、凄いことになっていたね、きっと。
燃えませんでした。手拍子をする手も顔の位置まで持っていかなかったし、なによりも、参加してませんでした。
雪組と比べないで観るのは難しい。月組『ノバ・ボサ・ノバ』が、初めての『ノバ・ボサ・ノバ』ならそんな気にならなかったのだろう。芝居が重く暗いから、本当ならば発散できるのかもしれないが、どうも前の雰囲気を引きずってしまって、このショーが持つ解放性を感じられなかった。また、『螺旋のオルフェ』が時間の進み方が遅い芝居だったことと関連があるのかどうなのか、非常にスピードが速い。テンポアップというよりも「急いでいる」。そんな感じがした。
真琴つばさのソールが、わたしの中では今ひとつだったのもある。クールな顔が見え隠れしてしまって、ソールに求められているものとの間に距離をつくっていたように思ったのだ。ソール以外にも、「アレッ」って思った部分は多くて、第16場B・C「ボアノーイチ・カルナバル」とか、第24場A「アデーウス・カルナバル」とか、ルーア神父とマーマとか、「こんなはずぢゃ」という思いが膨らみ、結果、弾けた感じを得られなかったのだろう。ストーリーがあるとはいえ、芝居好きが裏目に出て芝居をしすぎているようにも見えたし、全体的な印象として、歌も弱かった。私は後ろから2列目60番台で観ていたのだが、ソロなのに聞こえない場合もあった。座っていた位置が悪いのだろうか?
そんなわけなので、なんだかすっきりとしない思いを抱いたまま、フィナーレ(だから「85」をそんなに強調せんでも・・・)を迎えるのだった。
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