1999-09-25 12:00/16:00開演 日本青年館大ホール
いいもの観たなぁ。でも私の表現能力が、それを語るには足りなさすぎる。書こうとすればするほど、とんちんかんな方向に行ってしまう〜。本当にまた観たいくらいなのである。
主要人物を演じた生徒(汐美真帆、檀れい、彩吹真央)が組替えしたために、改変を余儀なくされた。サブタイトルも、「追憶の薔薇を求めて」から「薔薇の追想の果てに」と変わっていた。人もバウのほうに取られたので、観る前は「一体どうなるんだろう」と思っていたのだ。
ひとつの大きなストーリーがあるというより、ロッキー山脈上空で消息を絶った冒険家ジョエル・エヴァンスという人物をコアにして、いくつかのエピソードが前後しながら進行する。ジョエルの小説の執筆依頼を受けた小説家アーノルド(貴城けい)。今はアーノルドの父の愛人でかつてジョエルの恋人だった高級娼婦のニコル(五峰亜季)。そして、アーノルドに一緒に「なにか」を探してくれと頼む謎の少年イカロス(安蘭けい)。それぞれに、ネリー(天勢いづる)、カルロス(蘭華レア)、ロージィ(愛田芽久)が絡む。
皆どこか穴のあいたような心を抱えていて、たとえばアーノルドの場合は、思うようにいかない執筆活動だったり「書けない」という苛立ちだったり、親子関係だったり。それで自棄になっている。イカロスも何かを探しているのだけれど、それがなんだかわからない。ニコルは、ジョエルへの想いを心の奥底へ押し留めたまま、断ち切れずにいた。
ほかの人は生きていくよりどころを見つけるとか、ずっと胸につかえていたものが消えるのに、ニコルには、心の平安は訪れない。
高級ナイトクラブで出会い、自分のことを愛してくれて、かつての自分の鏡のようなカルロスなら、ひょっとしたら今の自分を(愛人という社会的な立場からではなく、ジョエルへの想いが重すぎて仕方なく心を殺してしまっている状況から、という意味で)救ってくれるかもしれないという一縷の望みを掛けたが、愛人であるウォルター(箙かおる)の部下にカルロスは殺されてしまう。待っていた店にやってきたのは、カルロスではなく彼の死の知らせを持ってきたウォルターだった。
そのあとは例の「欲しいのは…… ニューヨーク中の宝石と、エンパイヤステートビルの高さに積み上げた札束と、なんでも思い通りになる力」のセリフに繋がるのだが、絶望と虚無感が一気に襲ってきた表情とヤケクソな口振りが、ますますこの人は心を閉ざしてしまうのだろうと思わせた(彼女の躯に手を這わし頸に口づけするウォルターがこれまたエッチなんだな)。カルロスではないけれど、このままぢゃいけない、と思う。
ただ、カルロスへの心の動きが見えなかった。ウォルターがカルロスを殺す件も唐突だ。でもニコルは、ストーカー的に付きまとうカルロスに「同情はね、愛情ではないのよ(記憶に頼っているので違うかも)、坊や」など「坊や」と云うときの蔑んだような、自嘲的でニヒルな口調は、ジョエル以外の誰かを愛すること、カルロスのまっすぐな愛、それを受け入れることに対して逃げているのが感じられて、好かった。
ニコルは、アーノルドには愛人の息子という接し方ではなくてアーノルドという人物として対等に接していて(誰かと付き合う以上当然のことなのだけど、先入観って結構あるし、人によっては優位に立とうとするぢゃん)、恋人だったジョエルが好んで読んでいた作家と云うこともあるのだろうけど、巧に隠しつつもちらちらと本心らしきものを見せていたのも、おもしろい。
イカロスは人間の傷ついた心の象徴だけど、ジョエルの彷徨える魂でもある。「ぼく、もう時間がないんだ」という姿は、なかなか切ない。イースターの場面でイカロスだけが周囲から浮かび上がり、写真立てをテーブルに置いてそっと立ち上がるところでは、ものすごく彼の孤独を感じた。自分にはない場所、戻りたくても戻れない平和な時間。疎外感を味わっているというか、その場に居るのがいたたまれないような顔をしていたので、印象に残っている。
それと、始めに登場してから「なにか」を見つけるまで、何かを見つけなきゃいけないのにそれがなにかもわからなくて、それが見つからない焦り・緊張感が伝わってきて、痛いものがあった。はじめイカロスは「星の王子様」(&イカロス)なイメージと聞いていたが、なんか、『銀河鐵道の夜』のジョバンニぽく思ってしまったぞ。う〜む、ナゼだ?
いいものを観た。幕が閉じ、そう思った。そして、たしかに、2階席では開演前・終盤とほのかに薔薇の香りがしたのだ。
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