「かもめ」

1999-10-23 13:00開演 シアターコクーン


『楽屋』を観てどんな話か興味を覚えたのと宝塚を退団した千ほさちがそのニーナをやるので、宝塚のチケットを購入しに1000days劇場まで行ったあと、当日券で観ることにした。A席で観たため久しぶりに舞台を「見下ろす」。コクーンシートのほうが安くていいのだが…

ロシアというとみんな十把一絡げにして、どうしても新劇のイメージしかない。同じロシア物でも宝塚でやる場合は(最近では『黒い瞳』とか)違和感ないのだが、私のイメージの中にある新劇のロシア物だと、金髪は不自然で台詞や動作が大仰で大芝居で、ダメなのだ。当然チェーホフに関しても、映画『櫻の園』(1991)を見て「櫻の園」を読んだくらいで、全然縁がなかった。岩松了翻訳・演出の『かもめ』はそんな新劇なイメージを一掃した。それは、舞台が明るかった(床・壁・装置の配色が明るめだったので照明を当てるとかなり明るくなる)ことや洋服が今風だったり、台詞も普通と云うことがある。大げさな動きもデフォルメされていて、だからかえって取っつきやすかったし、チェーホフってこんなに面白いんだ、と思った。

が。休憩を挟んだ後の4幕(ソーリン家の客間)のインパクトが今ひとつだった。1幕〜3幕までの日が差し込むような明るさから、一転ほのかに明るい感じだったのも関係あるだろう。どうもぴりっとしない。それでどうも中途半端な印象を受けた。結果としてカーテンコールのアンコールの拍手をしてしまうほど良いとは思えなかった。

注目していたのは、ニーナの千ほさち。宝塚にいた頃より無理がないように感じた。無理はないけど、台詞が聞き易かったり聞き取りにくかったり聞こえなかったり、一定のレベルを保ってくれない。ときどき口先だけで喋っていたり。トレープレフやトリゴーリンに対する感情が見えにくかった。4幕は背筋が曲がっていて暗くなってしまったのと、「私はかもめ、いいえ私は女優」の台詞が流れ気味だったのも、「かもめ」は重要なファクターなだけに気になった。芝居の勘はいいんだけどね。1幕〜3幕までの自分の感情に素直なニーナ像はよくでていたと思う。

あとマーシャの吉添え文子は声とか台詞の出し方とか芝居が南果歩にそっくりだったので、最初(パンフレットもチラシも持っていなかったので)本当に彼女かと思った。

岩松了の演出なのか、もとのチェーホフの脚本なのかはわからないが、アルカージナを筆頭に皆トリッキーで、そこが面白い。チェーホフが「喜劇」と云う理由がなんとなくわかったような気になる『かもめ』だった。


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