2000-01-15 15:30 開演 2000-01-28 13:30開演 宝塚1000days劇場
日頃の睡眠不足が祟り電車を待っているときに眩暈を覚え、観劇中に寝てしまうんぢゃないかというくらい非常に眠かった。せっかくの休みだというのに。中途半端な時間に朝食を摂ったため、お弁当の匂いが籠もる客席に足を踏み入れて気持ち悪くなったが、同時におなかが空いてくる。
今に始まったことではないけど、大芝居だ。幕開きいきなりの木槿のブランコもアレだけど、すごい大芝居だ。初演の時はもっと長い話だったようで、いろいろと刈り込まれていて説明不足な部分はあるが、物語の流れに破綻はない。やっぱり原作があると違うね。ただ、「〜たればこそ」とか「少しも早く」(←歌舞伎ではよくある言い回しらしい)とか、昔の話とは云え、そういうのはなんだか聞いていてヘンだと思う。
竜淵が万姫にチャムガの形見の短刀を返しに行くところは、もうすごく泣かせるポイントで、ちょっと涙腺があやしくなった。秀民も万姫がその刀で自らの命を絶つかもしれないと思っていて、それでも返すというのを竜淵もわかっていて、だからこそ「何も言わずに返してこい」と言われたのに万姫に対して「一雑兵の忠言」をぶつける。たしか「あなたがその宝刀で死ぬことを私は知っているけれど、死ぬ前に少し離れたところから自分を見つめて、あなたを愛したひとりの男のことを思いだして下さい。死ぬ以外に生きる道があるかを考えて下さい」といったような内容だけど(台本載っけて!)、代弁とは云え「愛してる〜」以外の秀民の感情がはっきりと示されており、秀民やそれを聞いている万姫の心中を考えると切なくなった。
万姫は感情がブツ切れで登場するのだが、かなり入り込んでいたのか星奈優里は泪ぼろぼろ零しながらの演技だった。かえってそれがその空いてしまった時間を埋めていたように思う。贔屓目な部分も多分にあるが、敵国の人間ながら自分によくしてくれたチャムガを好きになってしまったのは当然かつ仕方のないことで、でも一方で婚約者である秀民をまだ愛しているというダブルバインド(?)、こちらを立てればあちらが立たず、そして自分にも不適切、というどうしようもない状態を無理なく体現していたのではないかな。チャムガを追ってなんの躊躇いもなく自害するまでの流れに無理を感じなかったのだが、後ろの方はなんだか納得行かないような風情だった。
秀民は椿の踊りが特に凛々しく、楚山を襲い万姫を浚った女真国に対する積年の恨みを晴らすべし、という決意が込められた表情も美しい。対するチャムガは、万姫が秀民がいるのに関わらず愛してしまうのもわかるような侠気のある人物だった。万姫に「言い交わした男がいるのを知って耐えてきたが、ほんとうはあなたを離したくない」というのは、もうちょっと激しくして〜と思ってしまったが(←なにを期待しているんだか)。
難を挙げれば、後半「武将の誇り」が強く前面にでてしまったことだろうか。秀民は万姫に幸せになって欲しいからチャムガに会いに行って降伏を勧めるし、チャムガはそんな秀民を見て、こちらも万姫に幸せになって貰うために「万姫は我が妻にあらず」と云うけど、その後そこに「武将の誇り」を絡ませたりしたら万姫のことは脇に追いやられているようで、ちょっと「?」だった。
とかなんとか云いつつ好きなのは梨花(万里柚美)で、高麗の密偵で秀民のために大活躍する。女真軍を雪深い金山の奥深く袋小路に閉じこめ、それはそれでのちの悲劇に一役買うという、おいしい役だ。女スパイなだけで一票投じてしまうワタシ。おまけに軍服で秀民の前に来て報告するときの凛々しい姿といったら。秀民に「頼むぞ」と言われた時のなんだか嬉しそうな顔を見て、梨花は秀民のこと大好き(恋とか愛とかというのではなく、大好き)なんだな〜と思った。
植田芝居とタカをくくっていたら『我が愛は山の彼方に』ばかりは、やられた。もうちょっとちゃんとじっくり腰を据えて、できることならあと何度か観たい作品である。(1/28)
パワーで押し切っているのはいつも通りの三木章雄氏だが、これは、なんだかイイ。タイトルと中身が完全に合致しているとはいえないが、星奈さんもノルさんもバリバリ踊っているし、本来ダンサーのトップコンビをあんなに踊らせただけで、「三木センセー、アリガトー」なのである。
ピカイチなのは「恋人達の夏」で、曲(「マラゲーニャ」とオリジナル)もダンスもよい。戦時下という緊迫した空気もピリピリ伝わってきた。知っていることしか知らず、詳しいことはなにも知らされず、無事を祈って待つだけしかない辛さ・もどかしさを滲ませていて、絶品である。束の間の夏、マドリッドに戻ってきた恋人と踊る部分は、明日をも知れない未来と未来のための自由(反ファッショ)と互いを求めて激しく情熱的で、観ていて惹き込まれると同時に迫り来るものがあり、痛かった。
以下、寸評。
第2章の「ロックの夜明け」は娘役の衣装が尋常ではない。サイケとかぢゃなくてそれ以前の問題。アレは気の毒だ。あんなのが当時いたのか、いたら見てみたいぞ。原曲があるので音はまともでそれなりにちゃんとロックっぽかったが、日本語の詞をあてると、どうにもこうにも情けない。(ちなみに壁には「GRAY」とか書いてあってムムムなのであった.DEEP PERPLE とか EL&P くらいはあってもよかったんぢゃない?) ロックついでに第6章の「1999」は、宝塚を観るようになって初めて?聴いたテクノである。音とリズムの刻み方がやけに某KRAFTWERK的だった。ここも原曲があるはずだ。宝塚オリジナルとかいったら凄いことだが、まずそんなことはないだろう(って莫迦にしすぎ?)。すごく久しぶりにロボットダンスを観たような気がする。その後イブが登場してアンドロイドは人間の若者になるが、結局、人間になって地球(母なる海)に還るっていう流れなのか? 日本語の詞はやっぱりおマヌケさんなのは、しょうがないか。仮面を被ったアンドロイドがダースベイダーのように見えてしまった。あの仮面、欲しいぞ。
「永遠のローマ」は、よくわからない場面。締めはピアソラの「LIBERTANGO」で総踊り。別にローマでなくてもいいぢゃんってカンジである。星奈さんは娘役と男役を従えてやっぱりここでも踊りまくっていた。ひっつめのお団子で、ちょっときつめのお化粧で格好良かった。男役を従えた星奈さんといえば「モン・パリ(ミュゼット)」では、ひらりひらりと男役を取っ替え引っ替えして踊る。どうしてこういうのが、はまってしまうんでしょう。なにをしていても、ほんとうに動きが綺麗である。
全体的には似たようなシーンが続いてヤマがない状態だが(ひょっとしてヤマは客席におりてくる「夢のセンチュリー」か総踊りのある「永遠のローマ」か?という気もしないわけでもない)、個人的には星奈さん大活躍でかなり嬉しいショーだった。
斜め前に座っていた人が、某スターさんが出てくるたびにビデオを構えるのが気になった。撮るなら撮るでこそこそしないでおくれよ、まったく(1/15)。
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