宝塚歌劇団宙組 「望郷は海を越えて」「ミレニアム・チャレンジャー」

2000-12-05 13:30開演 TAKARAZUKA1000days劇場


「望郷は海を越えて」

大劇場と合わせて3回しか観ていないけれども、谷正純パワー炸裂で、好きか嫌いかと問われたら間違いなく「好きではない」と答えているであろう。主人公が艱難辛苦に耐えるのはもういつものこととして、それでも異境の地に流され彷徨うのは、なんだか師匠の『この恋は雲の涯まで』みたいである。

まあ、そんなことはどうでもいいことではあるが、腹立たしいことには違いない。この作品テーマとしては「命」というのがあるのだろうけれど、肝心の作者が命を粗末にしすぎである。主人公の悲劇性(?)を高めるために、ぱかぱか身内を死なせりゃいいってものでもなし、そんなことでは泣けない。勝之進、三郎太、惣右衞門の死も納得いかなければ、源九郎、唐戸に至っては演出家の好みで殺しているとしか思えず、全然気持ちよくない。言ってることは正しいのかもしれないが、全然説得力がないよ。

むかつきついでに云いたいのが、「なぜ由布姫も連れていかなかったのか」ということである。彼女も海賊の妻なればこそ、夫を待つのではなく自分から海人についていってほしかった。九鬼海人が体制側からはずれたところにいるのであれば、こういうところで武士階級の習わしに則ってしまうのはどうかと思うのだが、どうだろう。それと、谷氏の描く女性は、大事なことは自分で決めないで誰か男性の一言・後押しで決定しているような気配があり、そういうところは好ましくない。

で、わたし的に一番おもしろく観れたのが、ほぼ本筋とは関係ない、エカテリーナ2世のエピソード。「漂う」というのもキーワードだが、愛に漂うエカテリーナ2世は、その部分についてきちんと描かれていないのでちょっとキツイ。しかし、愛はともかく、時代に漂っているはずだったエカテリーナが、海人の一言があったとはいえ、革命を遂行するのはドラマティックだった。(軍服姿の花總・エカテリーナ2世は、小さい肩でロシアを背負い、すこしだけ痛々しく、少年のよう) 違う演出家(例えば植田景子氏とか)でここのエピソードだけ観たい。しかし、穿った見方をすると、ここって『ベルばら』への布石なんぢゃないか?


@home > imoressions-2000 > 望郷は海を越えて