宝塚歌劇団花組 「ルートヴィヒII世」「Asian Sunrise」

2001-02-23 13:30開演 東京宝塚劇場


「ルートヴィヒII世」

宝塚でないと観られない話だ。「ルートヴィヒII世」とか「夢」「現実」だけでみれば、それこそ映画や中小あらゆる劇団でも扱っているけれど、それにコスチュームが加わり、ルートヴィヒII世の見る幻が嘘ではなく彼の現実としてみせることができるか、ということになると、もう宝塚でないといかんのである。

全体的にヤマ場らしいヤマ場がないので平淡な印象は否めない。またグッデン博士(匠ひびき)が最初から最後まで謎。別にルートヴィヒII世(愛華みれ)の主治医でもなんでもないのに、何であそこまで執拗に彼につきまとうのか。ルートヴィヒII世/グッデン博士、夢と幻/現実という構図はわかるのだけど…… オットー(瀬奈じゅん)は完全に「異常」だったから「正常」に戻すべく治療をしていたのだけれども、ルートヴィヒII世は「正常」且つ「異常」でこれらが混沌と存在していたから、現実(って云うか西洋医学とか西洋的物の見方)の表象であるグッデン博士は、彼の存在が許せなくて追いつめるのかなと思った。宝塚は基本的に虚構の世界なのだし、グッデン博士が年齢不詳の黒い精神科医なのだから、もっとルートヴィヒII世と絡みがあればよかったと思う。でもルートヴィヒII世の視点で観ると匠ひびきのグッデン博士は、なかなかどうして、「現実」という存在感や威圧感があり、浸食されるような怖さがあった。

そのグッデン博士と対極にいるのが幻(大鳥れい)。幻も考えようによってはちょっとこわいかも。でも幻を見、追い求めて手に入れようとしたから、ルートヴィヒII世は楽になれたのだ。ルートヴィヒII世の側にいてその世界に誘うという意味では、ちょっとだけトート的な気がしたのは、気のせい? やっぱりお薦めされるだけあって、男装の少女は、よかった(ちゃんとおなか気付いたよ)。なんだかホルニヒ(春野寿美礼)の代理っぽいけれども、中性的で大人になるのを放棄した少女みたい。あそこのキスが引導となってどんどんルートヴィヒII世が現実に目を背けて幻に傾いていくのだ。あんな幻だったらわたくしも誘惑されてみたいですな。

今回のツボは、エリザベートとその周辺。エリザベート役の渚あきは、「エリザベートは観客の中に強いイメージがある役だからプレッシャーがある」というようなことを、確か『宝塚GRAPH』で述べていたように記憶している。そうなのである。プログラムには「女官(美苑えりか)」としか記されていないが、エリザベートより少し下がった場所で、同じような色使いのドレスを着て影のように付いているといえば、もうスタンレー夫人しかいないのである。異境の地で知った顔を見て嬉しい感じ。


「Asian Sunrise」

ピリッとしない。お国巡りショーで、構成がワンパターンなのが結構気になった。まるで「TAKARAZUKA・オーレ!」(1994 月組)みたいであるよ。バリがなんだか他のシーンよりも民族音楽&舞踊がかっていたけれど、渚あきは、じゅんべさん(洲悠花)的な存在になりつつあるのか? それにしてもインドネシア大使館は侮れない。(以前,ゼミで使う資料のためにバリ舞踊のビデオをダビングしてもらったことがある)

プロローグはゴキゲンな感じで個人的には好きだ。あとサンライズ・アゲイン。太極拳や悠久を感じさせる音・リズムと、今っぽい音のミクスチャが、気に入っている。そういう意味で云えば、バリ幻想C(だったと思う)も、台湾、中国、韓国、香港あたりの歌謡曲っぽくて好きだな。

それにしても、ショーでいったいなに観てるんだろう・・・


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