2003-01-07 18:30開演 東京宝塚劇場
「ベルサイユのばら」「風と共に去りぬ」に続く伝家の宝刀になりそうな予感すらある「エリザベート」。宝塚では4組目の上演である。そして、春野寿美礼トップお披露目及び大鳥れい退団公演でもある。
エリザベートはとにかく音楽が売りの部分もあって、やっぱり最初に圧倒されたのはその部分だった。エリザベートを観てるんだという意識も手伝って、イントロから暫く震えも止まらなかった。でも、エリザベートほど最初から最後まで観客に緊張を強いるミュージカルもそうないのでは。
宙組以外は観ている(ただし雪組は劇団ビデオ)けれど、花組が一番わかりやすかったように思う。回数観てストーリーが頭に入っている等観る側の環境が変わった、ということも当然あるのだが、それを差し引いても平易な印象を受けた。トートのエリザベートへの愛、フランツのエリザベートへの愛、エリザベートの想い、ベクトルの向きが雪組、星組に比べてより明確になっており、それがわかりやすさへ繋がっているのかな、と。
大鳥れいのエリザベートは、皇室に上手く馴染めない、異物感がよく現れていた。「物」と書くとおかしいのだけど、白血球にやられている細胞(でも, ただヤラレてるだけではないぞ)みたいな、そういうイメージ。確かに、高貴さだけに焦点を当てれば、ベテラン花總まりと比べるまでもないが、フランツのつまみ食いが決定的な引き金となり、旅から旅への生活が中心になっていくというのには大変説得力があった。既に飽和状態にあった我慢がぷっつり弾けたって感じだろうか。その前段階としてエリザベートの在り方を決定づける(と思っている)最後通告の場面(一幕場)がある。扉隔てたフランツの言葉を聞く際に苦渋の表情をしているのが迷い悩めるエリザベートで、大鳥れいらしいといえばらしいのかな。
さて、歌のトート、魅せるトート、攻撃的なトート、代々のトートに頭言葉がついているが、では春野寿美礼の場合は? と考えたときに、最初ちょっと思いつかなかった。ポスター(チラシ)のトートはなんかコワイし、線も細いし、どちらかといえば否定的だったのだ。しかし百聞は一見に如かず。それがいいのか悪いのかは別として、恋するトートに徹したことが、花組『エリザベート』の方向性を提示していたように思う。またエリザベートが内包している死の具象化(≒観念)というより、物の怪としての存在に完全にシフトしていた。そのことが少なくとも私にはひどく日本的に思えたし、わかりやすさの原因ではないかと感じた。
松の内の観劇は初めてだったので、開演挨拶冒頭の「明けましておめでとうございます」に、なんだか得した気分になったのだった。(単純)
余談: 王子って, 雪→星→花に出演してるぞ. なにげに凄くないか.
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