宝塚歌劇団雪組 「Romance de Paris」「レ・コラージュ」

2003-11-27 13:30開演 2003-12-18 18:30開演 東京宝塚劇場


「Romance de Paris」

東京に来てこなれたような。大劇場で3回観て、ストーリーが頭に入っているからか。なにより、ディディエが「ネはイイ奴かも」と思えたことが一番である。特にシルヴァンの葬儀で「いずれ食事にでも誘うよ」とヴァンサンに云ってるあたりで、それを感じた。パトリシアへの配慮もあるだろうけど、とってつけた感じもヴァンサンへの悪意(遺産相続のこともあるし)も見えなかったし、「云うべくして云った言葉」みたいな。パトリシアが裏帳簿をヴァンサンに提供をしたことで、愕然と、それこそ世界の終わりみたいな顔をしていたのを見て、可哀相な人だなと思った。だからパトリシアの「理想と野心を取り違えた」みたいな一連のセリフにも、説得力があった。婿養子でいろんな意味で窮々としていたんだろうな、とか。裏帳簿をちゃんと付けてるぐらい真面目なんだろうな、とか。もっとも12月に観たときは、全体に壮の演技がオーバーヒート気味に見えて、良さは半減していたような。それにしても裏帳簿の在処をパトリシアが知っていたと云うことは、教えたか目立つところに閉まっておいたかとしか思えない。もしやディディエ隠し事苦手か。クーデターのことも、ヴァンサンに図星指されて声を荒げてるし。

微妙な部分で演出が変わっていて、クーデターを潰すために親を騙したナディアを領事館の一室に案内したイブラヒムの退室時が、普通の一礼になっていたのが、普通すぎてなんだか… けっこう好きだったんだけどな、手を合わせてお辞儀するような独特な敬うような仕草が。(細かいよ) あとは折角作って持ってきた「気分がすっきりするカクテル」を結局その手に戻されたディミトリが飲み干して、すっきりしたのかにっこりするのがほっこりする。

ヴァンサンとナディアの一日パリデートの場面は相変わらずダレ場であることには違いないけれど、お上りさんの天稀氏が見ていると結構おもしろかった。「もしかして場違い?、しかも独りだし」ってかんじで凹んでたり。シナちゃんのテキ屋のネーチャンは、欠伸して居眠りしてるバージョンだった。(12月は縫いぐるみ叩いたあとニヤニヤ) 賞品を放り投げてはいけません。


「レ・コラージュ」

とどのつまり、切り貼りである。継ぎ接ぎといっても差し障りはないかな。あれこれ貼りあわせてひとつの作品にする絵画の手法である。たぶん。音楽と、時代と、次元の切り貼り? なんとなく開き直ったというか、ヤマ場がないといわれるのを逆手に取ったというような気もしなくもない。パーツ別に見ると好物ばかりだったし、なんだかそれはそれで纏まりがあるような気がしてきた。それで、『レ・コラージュ』というタイトルに惑わされるが、各場面をよくよく見てみると、適当な言葉が出てこないのだけど、シュールだと思う。ショーの根底にずっと流れている世界観も、決して未来志向でないし。

以下、好物場面とか。

プロローグ:
音楽の切り貼り。ワルツ〜ロックンロール〜ジャズ〜ブルース〜タンゴ〜ロック〜主題歌。無難といえば無難。ロックンロールの、黄色のキムとシナが若さいっぱいである。はじけんばかりである。ロックは、大劇場の時は樹里と貴城の全身緑の衣装がなかなか暴力的だったが(ピーターパン@満点星再びって感じ)、東京はくすんだ感じでまともになっていた。しかしあれをハードロックと云ったら、それはちょっと違うと思う。

なっつくらっかあ?:
何故にタイトルが平仮名なのかが謎なのだが、「胡桃割り人形」がモチーフ。 だからクエスチョンマーク付なのだろう、きっと。マーシャンはあんなネズミの人形をプレゼントされてウレシイのか、というのも疑問である。そんなマーシャンに憧れているドブネズミの王子様・ラッツキングが、彼女をクリスマスのパーティーに誘うというのが大意。誘うというか、浚ってるんぢゃあ。しかし、ここは実は密かに異類婚ではないかと。(深読みだから) よっこママ、マーシャンが大人の女になってラッツキングに抱っこリフトされてるのを見て、感激して拍手してる場合ではないかと思うのだ。どうだろうか。ネズミというのもあると思うけど、『伝奇』みたいな世界観かもと思ってしまった。ラッツキングの音月桂が格好良くて、ちょっとオトナのオトコの階段に一歩足をかけた逞しさ、色っぽさを感じた。それでいてちょっとトートチック? 場面も引っ張っているし随分と大きくなったなあ、と感慨もひとしおである。

ナイチンゲール:
本物のナイチンゲールを誘き寄せるために機械仕掛けのナイチンゲールを用いる王子様。手段とか、本物を鳥駕籠に捕らえて最後にニヤッと笑うのでそれがまた王子様の残酷さを煽っている。王子様は貴城けいで、なまじ綺麗で、似合っているだけに。(褒めてます) ナイチンゲール・マキナのロボットダンスと無表情の無機質感も怖くてよい。 ナイチンゲール対決の音楽(「ナイチンゲール」)がまた雰囲気にぴったりで、吉田先生には本当に脱帽する。大好きである。

時のコラージュ:
廃墟で見るかつての幻影。栄華を極めた街や友人たち。 しかしそれは幻。不思議少女白羽が渡す白い花が引導で、幻を見終わったあとに押しつける花が枯れているのも、時の流れを表しているのかと。白羽ゆりは、ちょっと不思議少女を演じるには存在感があるような。

記憶のコラージュ:
ベースカラーがセピア色、音楽(「さくらんぼの実る頃」〜「記憶のコラージュ」)も切なさいっぱいで、まさに「懐かしいあの頃」な感じである。そんな時が止まったようなノスタルジックな世界に入り込んだ男。そこで恋人に出会うがやがて彼女は去り、男は独り残される。回転扉とか回転木馬とか一所を回り続けるこれらアイテムは、これまた時の巡りを暗示してるのではないか。『歌劇』2003年11月号で「モンゴルの大草原」という説明があったが、あれはゲルと云うよりもサーカスのテントに見えるのだが…

パイレーツ:
大劇場はビスマルク号だったのだが、変更。パイレーツだと余計に、ずっとショーの根底にあった「過去」と「今」という流れが分断されるような。それが海底に沈んだ海賊船だとしても。ロケット(熱帯魚)からの流れであればパイレーツでも原色だしおかしくはないが。むーん。

タイタニック号〜デュエット:
タイタニック号乗船客が織りなす舞踏会風群舞。群舞は男役女役とも衣装が黒だったのもあるし、それと音楽で、これも時がそこだけ止まっていている感じが出てた。出演者が「幽霊」と云うだけある。群舞も綺麗だし、デュエットもダンサーコンビだけあって(関係あるような無いような)見応えある満足するメニューかと。ここだけに限らずどの場面もそうだが、今回音楽がドンピシャなのだ。しかし、三木さん『ザ・レビュー'99』でもタイタニック号の舞踏会の場面があったような… 沈没前と沈没後とか。凰稀かなめと山科愛の初代フェアリーズが組んでいたのが、凸凹である意味目立ってた。おもしろかった。


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