2004-04-18 11:00/15:00開演 宝塚大劇場
バカのひとつ覚えというか、やっぱりこれも民衆が歌い、そして太鼓を叩く。太鼓叩いてるのだ。前のほうの席だと、空腹には酷く堪える。しかもこの劇の凄いところは、4場しかないところだ。しかもきっちり「起承転結」になっている。なんてわかりやすい。
かなりすみれコードギリギリのところなのではないかと思ったのだが。いくらなんでもストレート過ぎというか。何も今このタイミングぢゃなくても、と思うくらい、政治的である。復活しても暴れるスサノオに、どうして「使い方を誤らなければいいのよ」と、アマテラスもイナダヒメも云わないのか、それがいっそう不思議。大和の力ぢゃないだろ。むしろそれを云わないと、スサノオもどうしていいかわからないと思う。アオセトナに匿われたイナダヒメの7人の姉たちは、まるで某国含めた宗教カルトの罠にかかっているみたいで、不気味で怖かった。(だってそれが意図されてるからNE)
スサノオが、復活するたびにバージョンアップしているのだが、アオセトナに毒を盛られて埋められたあとの衣装が、衣服がぼろぼろってことだろうけど、筋肉の筋を表してるのか、配線コードなのか(人型ロボット)、ピッコロ@ドラゴンボールみたいだった。最初はファスナーだらけのロケンローラーだし。でも格好いいけど。髪ぼさぼさだけど。
壮一帆の月読は、初舞台生口上後の第一声(「ヨォ」)担当である。浮かれざわつく客席の埃鎮めと云う大事な役どころである。スサノオについて廻る(手は出さない)、というのは、ルキーニみたいな狂言回しと云うよりも、「あさきゆめみし」の刻の霊みたいだ。バウで自信つけて大きくなったので、今回はスサノオの兄(正確には兄弟。あまり年の上下は関係なし)と云われてもおかしくなかった。
アメノウズメは、音月桂が演じていたのだが、ものすごく、植本潤(花組芝居)に似ていた。いつか鬘取るんぢゃないかと。男も女もどっちもできるわよ、と云うのより、ガラの悪さがおもしろかった。
あとイナダヒメが、ヤマタノオロチ退治に俄然張り切ってしまうのと、なおもウジウジしているスサノオの剣を奪って、「連れて行ってくれなきゃ、死ぬ」と脅しているのが、気に入った。「さあ行きましょう」と云ってどこに行くのかわからなかったスサノオに「どうしてそんなこともわからないのか」という表情を返しているし、積極的なのである。こういうヒロインは、観ていて楽しい。
アマテラスとスサノオの賭もしょうもなさすぎて、何が楽しいんだか、常人の理解を超えてる。だから神様なのだろう。(よく考えるとアマテラスが隠れるのって、逆ギレではないのか)
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