宝塚歌劇団星組「花のいそぎ」

2004-08-08 15:00開演 日本青年館大ホール


なんだか、今年のバウはわたし的には当たりが多い。この時期にこのキャストでこの作品、というのがうまく合った感じで、そういえば一昨年の『月の燈影』でも、彩吹真央、蘭寿とむ、沢樹くるみと主役だけでも三拍子揃っていたし、つくづく巡り合せだと思う。なかなかの佳作である。

日本物の減った宝塚の中で、オリジナルはすべて日本物という、ある意味奇特な演出家、大野拓史氏の今回の舞台は、平安時代。主人公は小野篁である。文章院時代の小野篁(真飛聖)を中心に据えた、いわゆる「若者の成長物語」であるが、篁の持つ「力」、「力」を持っているための悲しみの話でもあると思う。なんて書くと、宮部みゆきみたいだけど。

小野の血脈は、花の精気を移して病や傷を平癒させる力を持つ。(反魂術みたいな感じも、他の人の台詞で匂わせている)(という設定) ただし精気を移しすぎると記憶を失うという副作用もあり、その使用は諸刃の刀である。

藤原良房(嶺恵斗)に刺され瀕死の三の君(琴まりえ)が「(力を)私には使わないで欲しい」という懇願に対して、篁はそれを受け入れる。その後、何かあって(政治的力学とか?)、三の君を蘇らす。つまり、出来る力があるのにそれを使わず愛する者を失うという点と、力を行使することで愛する者から自分を含めた記憶を失わせる、と云う、篁にとっては二重の苦痛と悲しみを抱くことになる。

ラストで、記憶を失った三の君が、樹に咲く花(桜?)を見て、「なんだか懐かしい気がする」(かなりうろ覚え)と云うのを見つめる篁の眼差しが、穏やかなのがかえって切ない。でもこの言葉で、少しは和らぐのかなと。

篁は、生前に三の君と交わした「ずっと傍にいる」という約束を守るため唐には渡らない選択をするが、宮廷に巫女として仕える稗田鈿女(彩愛ひかる)は、特殊な力からも空間からも逃れることが出来ず、「稗田も力に縛られている」みたいな言葉(さらにうろ覚え)には諦めを感じた。なんというか、この人が、三の君に対しての力の使用選択権を篁に与えたことが、篁が三の君を蘇生させるきっかけになったのではないかと思うのだ。清原夏野や藤原冬嗣の言葉だけでは、三の君を蘇らせることはしなかったのではないか。


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