観劇ノ記録2004

「観劇ノ記録[impressions-西暦]」と題しているのに、ただの観劇(予定)表になっているのもどうかと…。観っぱなしという状態もナンなので、観劇メモです。ただし、鮮度が落ちてしまったものは残してないです。(敬称略)


クロカミショウネン18「モザイク。」

2004-11-26 19:30開演 王子小劇場

葬儀を控えた議員の小林家、ひとつの嘘が新たな嘘を生み、誤解が誤解を呼び、てんやわんやの大騒ぎとなる。

本物の隠し子が現れたり、テレビ番組の撮影とか、ちょっと詰め込みすぎな気もするけれど、最後まで隙がなく、ドタバタな展開が面白かった。また、父娘再開の部分は、ちょっとしんみりした雰囲気で、いいアクセントになっていたと思う。

個人的なことではあるが、観劇時の体調が万全でなかったのが残念。

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「二人の女兵士の物語」

2004-11-18 19:00開演 新国立劇場小劇場「THE PIT」

何かと戦い、また互いにも闘いあっている女性の二人芝居で、全8話からなるオムニバス。小島聖と宮島千栄の芝居に見応えがある。先日『見よ、飛行機の高く飛べるを』を観たこともあり、たたかう女性づいているような気もしなくもない。

舞台が三角形で、ほぼ中心から生えた極めて細い円錐状のセットも象徴的。私には斜檣のようにも倒れかけた帆柱のようにも見えた(もちろん、場面場面によって役割、見え方は変わる)。

各話はそれぞれ独立した内容だが、全く脈絡がないと云うのでもなさそうだ。というのは、第2場から第7場は、第1場で女A(宮島千栄)が女1(小島聖)に投げかけるいくつかの科白の一端が、反映されていたからだ。ただ、第8場でそれらがうまく集約されているのかと云うと、それはちょっとよくわからなかった。結局夢オチのような感じもしたし。

女Aと女1の掛け算の第2場「運動場」は、さっぱりした感じ。それとは関係なく全体的に、女1は最初は攻めているのに(第1場でも言葉攻めよろしくガンガンに捲し立てている)、いつの間にか形勢逆転しているのは、気のせいだろうか。

第4場「団地の殺意」での、ホステス殺害事件の被告を彷彿させる女Aに、罪を犯した者の一日の長としての余裕を感じた。毒カレー事件の被告を思わせる女1も応えて、主婦の顔から眉を吊り上げて恐い形相になるのが、凄いなあと。なかなか二人のやり取りは迫力があった。

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「見よ、飛行機の高く飛べるを」

2004-11-13 14:00開演 シアタートラム

この『見よ、飛行機の高く飛べるを』は、戯曲としての期待はあったが(青年座の初演は観ていない)、「主役が井川遥かあ」という偏見から、「どうかなあ」とあまり期待はしていなかった。動いているところは CM でしか目にしたことがなかったから尚更だ。

物語は、明治後期の女子師範学校(の寄宿舎)が舞台。校訓を良妻賢母に変更し、新しい女性の台頭を善しとしない学校に反発し、同級生の退学処分がきっかけとなってストライキという手段に打って出る、女学生の青春物語。(なんか無理矢理な纏め方だな...)

衣装は白いワンピースとショール(部屋着はカラフルなワンピース)。セットも淡い黄色で統一されており、時代的な説明は視覚面で排除されている。それでも違和感が無いのは、自分の学生時代の懐かしさ――云うほどドラマティックでもなんでもないが――とあわせて、その時代に生きていたわけでもないのに不思議と感じる懐かしさや情景が漂っていたからではないか、と。

夜中の会合に不意に現れた板谷順吉(藤沼剛)への恐怖と衝撃は、なかなか印象的。また、ラストで飛行機に向かって歩む杉坂初枝(魏涼子)は、あれだけ見るとどちらか主人公かわからないくらい。[なれたのに、そうはならなかった延ぶ(井川遥)、というのが主題]

失礼ながら、意外にも井川遥はちゃんと芝居が出来るのか、というのが収穫。ただ、ストライキに突入し本当にこのままでいいのかどうか、というあたりも含めて、最終的に新庄(笠木誠)のプロポーズを受け入れ初江と違えてしまう部分の揺れが弱いな、と感じた。けれど、学校一の優等生で人気者の雰囲気や快活さ、ひとつのことに夢中になる若さ、マジメなゆえの頑固さなど、上手く醸してたと思う。

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「髑髏城の七人」

2004-10-11 18:30開演 日生劇場

役者に合わせて細かいところが変わっているけれど内容は同じで、アオドクロも、スピーディーな展開だし役者も巧いし、面白い。しかも歌あり踊りありで、アカドクロよりもエンターテイメント色が強い。隣の劇場を意識しているかも? と云うのは、ウソですが。(それはまた別の話)(いつかお願いしますよ、いのうえさーん)

しかし誰とは云わないけれど主要メンバーの中でも、マイクつけてこのボリューム? という人や、滑舌が悪いのかいまいち台詞が上滑りで聞き取りにくい人もいたのは事実。席が後方だったからだろうか。勢いで見せる芝居とは云え、もう少し気を遣えばもっと良くなるのでは、と思った。捨之介(市川染五郎)も、まだちょっとマジメだな。

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第14回北とぴあ能 仕舞「巴」「実盛」 狂言「茶壷」 能「俊寛」

2004-09-24 18:30開演 北とぴあさくらホール

『茶壷』

シテが野村萬斎だったので、半分くらいはミーハーと云われても仕方が無いのだが、こういうことでもない限り、積極的には能楽は観ないかもな、ということで。(エンジョイ北区を見なきゃ行かなかったよ)

田舎者(アド:深田博治)が酒に酔って、背負っていた茶壷の肩紐を片方はずして寝込んでしまう。通りかかったすっぱ(シテ:野村萬斎)がそれに目をつけ、片方の肩紐に腕を通し、これも寝入ってしまう。田舎者が目を覚ますと、自分の茶壷を片方担いでいる男がいるので驚く。二人とも茶壷は自分の物だと言い張り、そこへ通りかかった目代(小アド:月崎晴夫)に判断を頼むが…。というのが、あらすじ。

すっぱが、田舎者と目代のやりとりを盗み聞きして、そっくり同じことを繰り返すのもおかしいのだが、田舎者とすっぱの二人が舞うところなどは、すっぱは田舎者の様子を見ながらで半歩遅れ、キメの部分で無理矢理合わせる様子が、おもしろい。野村萬斎さんのすっぱは、なかなかお調子者な感じである。そして、判断できないというので、目代が茶壷を自分の物にして逃げてしまう落ちが最高。

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劇団鳥獣戯画「三人でシェイクスピア」

2004-8-17 19:00開演 プーク人形劇場

シェイクスピア全37作品を三人の役者で紹介してしまいましょう、というのがこの作品。アメリカではロングランらしいが、日本では「毎月二日間」(公演チラシより)の上演で、跳び跳びロングランなのである。で、これがおもしろい。役者は役者の役らしいのだが、「赤星君」「ちねん君」「石丸ちゃん」とそのまま呼び合うので、一瞬、役者としての素の状態なのではないか、と思わせる。(特に赤星さん) アドリブなのか台詞なのか、もはや区別が付かない。あと、ジョークもアメリカンなものから置き換わっているようで、「冬ソナ」ネタももちろんあった。やるな、冬ソナ。

一幕はハムレットを除く36作品で「ロミオとジュリエット」から。作品毎に時間を避けないから、たとえば喜劇は16作品の題名と共通点の紹介だけ。短い。三人の男女がなんかこんがらがって最後ハッピーエンドだというのは、云われてみれば確かにそうかも。尤も陰惨な作品「タイタス・アンドロニカス」は血みどろ三分クッキング風で、あんなに明るいのもないだろう。英国王朝史劇も、アメフトの試合に見立てて一気に纏められてしまっていた。

ロビーで一杯100円のジュース、ビール、ワインが振舞われる幕間を挟んで、二幕は「ハムレット」である。比較的まともに(でもオフィーリアが赤星さんだからな)進むのだが、「尼寺へ行け」のシーンではオフィーリア役に突如観客が指名される(台詞は「キャー」のみ)。その時のオフィーリアの心の動きを、他の観客が動作で示す、と云う客席を巻き込むのだが、幕間でお酒が入っているので(あまり関係ない)、ノリが良い。一緒に「化粧を塗りたくれ」とか云って(Bブロックなので)、なかなか楽しかった。ひとしきり客席いじりが終わるとまた本筋に戻るが、「茎だけ」みたいなカットに次ぐカットでも、きちんと「ハムレット」の筋を外れていないのは凄い。台本の力もあるし、「子供のため─」にひけは取らない。最後にやったアンコールの「早巻きハムレット」と「逆回しハムレット」が非常に莫迦莫迦しくてよかった。

ところで、テンペストはいつ紹介されたのだろうか。まったく気付かなかった。

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現代能楽集II「求塚」

2004-07-25 14:00開演 シアタートラム

最近、宝塚歌劇を初めとした大劇場作品を見ることが増えてきたので、その反動と云えなくもない。

昨年の現代能楽集が、どうにもテリトリー外だろうと云う感じで実は少しキツかったので、今回途中で辛くなかろうかと思ったが、気が付けばアッという間の2時間だった。もっとも、演出家の意図を半分も理解しているとは言い難いが。先に、能の『求塚』の物語からは離れた方が良いという知恵を付けていたのも、幸いしたのかな。

都市社会学、民族学、異文化コミュニケーション(この言葉を使うこと自体が久しぶりだ)、共同体等々、興味深い点はいくつかあるのだけど、反面、そういった要素を盛り込みすぎのような気もした。また、徐々に、月子(吉本多香美)の犯した幼児殺人に焦点が絞られていくため、新堂(千葉哲也)の仕業とされる友和(月子の妹輪子の子供)殺しの件について、どうも有耶無耶になってしまった感は否めない。

極力役者の顔の表情が出ないように照明を絞ってあったのは、能面を意識したものなのだろうか。背広のまま神楽を舞うのも、不思議な感じがした。

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子供のためのシェイクスピア「ハムレット」

2004-07-18 18:00開演 世田谷パブリックシアター

私もこれで観るのが三作目だが、さすがに「子供のためのシェイクスピア」だけあって、わかりやすい。「子供のための─」なんて冠が付いているし、子供が取っつきやすいような仕掛けもあるけれど、むしろシェイクスピア作品の導入としても充分である。適度に端折ってあり、時間も丁度良い。(一幕、二幕共に1時間前後──集中して観ることができるのが、大体これくらい──) もちろんイエロー・ヘルメッツも健在である。開演前の座興意外にも、なんと、旅の一座がイエロー・ヘルメッツ。ローゼンクランツとギルデスターンもこの一座の団員、と云うなかなか思い切った編案もされている。肉体労働の墓堀人も、イケロー・ヘルメッツ。出番が多いのである。

それに、こんなにファンキーなハムレットも、観たことがない。決して植本潤さんの見てくれのことではない。いわゆる「ハムレットらしさ」からは程遠いというか、思索するハムレットはカットし、常に動き回っている部分が強調されている感じを受けた。そして、ひょっとしたらあまり「ハムレット」としての本筋ではないのかもしれないが、いわゆる従来ハムレットに比べたら、言動がアヤシかった。にも関わらず、ガートルードに対してかなり攻撃的。これは可愛さ余って憎さ100倍といったところだろうか。

言動が怪しいのは、オフィーリアにも波及しており、これがまた、父親の言いなりになりつつも、一言チクリとやるのだ。悲しいかな、何と云っていたのか忘れてしまったが。しかし、全然儚くも見えないし、心が崩壊するとは考えられないオフィーリアである。そのためか、逆に、狂っているが故にクローディアスの後ろめたい部分をズバッと云ってのけていたりして。

それにしても、最後のヤマ場近くまで笑いっぱなしの『ハムレット』もそうそうない。言葉遊び(場合によっては下がかっていたり)が散りばめられていることからもわかるように、実はシェイクスピアは畏まって観るものではないね、と改めて感じた次第である。

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シェイクスピア・シアター「ヴェローナの二紳士」

2004-06-26 14:00開演 俳優座劇場

あまり上演数も多くない『ヴェローナの二紳士』。物珍しさも手伝って、観に行った。『ヴェローナの二紳士』と云えば、1999年の宝塚・バウ・シェイクスピアシリーズではこれを下敷きにした『SAY IT AGAIN』が上演され記憶に新しい(劇場では未見)。テーマは、友情と恋愛、裏切りと赦しである。

女優陣、スピードとラーンス、山賊が、それっぽい衣装であるのにたいして、身分の高い役の男優陣がスーツで、まずそのちぐはぐさに違和感。当時の服装が似合うとも思われないが、中途半端感いっぱいである。加えて、台詞が長くなると途端に単調な台詞回し、動作に陥ってしまうのはどうしたことか。

戯曲を読む限りではもう少しオモシロイ話だと思うのだが、単に小田島翻訳をなぞっているだけという印象が強く、演出や解釈に工夫があれば、と思った。かといって、音楽が歌謡曲というのもどうかと。

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六月歌舞伎鑑賞教室「鳴神」

2004-06-05 14:30開演 国立劇場大劇場

国立劇場は、高校の時の歌舞伎鑑賞教室(この時は「梶原平三誉石切」)以来で、前を通る度に「いつかは(演芸場も含めて)」と思っていたのだが、『鳴神』を演るというのでこの機を逃すものかと、足を運んだ。一等席は、学生団体に押さえられているため、二等席を当日券で観るが、ある程度親子や学生向けに設定してあるとはいえ、良心的というか安い。

「歌舞伎の見方」では、解説の中身はともかく、解説担当の澤村宗之助登場の時の劇場のどよめきといったら。澤村宗之助に対する黄色い声だったのか(いや…)、スッポンに対する驚愕だったのか。解説の最後には今年3月に養成所を卒業した新人の立廻りがあったのだが、セリが上がった状態で板付き、尚且つ盆が回っているという豪華な仕立てで、その時の客席の感嘆の反応がひどく新鮮だった。すっかり宝塚で見慣れてしまっているので、盆回しやセリの上下で驚くなんてことは、久しく体験していない。

で、『鳴神』だが、やっぱり面白い。面白いのは、霊験あらたかな偉い上人が色気に迷うと云うことだろう。初めは癪を起こした絶間姫の介抱から、ふと手が胸に触れて、なにやら違う方向へ。「よいか〜、よいか〜」と云って触りまくっている鳴神上人の顔が、スケベだった。観客も大ヨロコビだった。

ただよくわからないのが、酒をたらふく呑ませて、ようやく龍神を封じ込めている封印を解く方法を聞きだした絶間姫が、注連縄を斬り落とすまでに迷いがあるように見えたこと。迷いなどではなく、女の手で成し遂げるにはいささか重労働だったのか、聞き出すまでが重労働だったのか。荒事なので、そこらへんは深く考えないほうがいいのだろうか。

裏切られたことを知った鳴神上人が怒り狂って、絶間姫を追っていった後はどうなるのかも、気になるところ。

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「髑髏城の七人」

2004-05-05 12:00開演 新国立劇場中劇場

一見荒唐無稽だが、さすが活劇で勢いもあっておもしろかった。1997年の再演を観ていないので、その分何の思い入れもないのが幸いした。初演に近いのだそうだ。無駄な部分が削ぎ落とされているらしく、下ネタが延々と続くと云うこともなく、なかなかシンプルである。30分押していたけど。

ただひとつ難があるとしたら、無界屋蘭兵衛=森蘭丸の水野美紀は、殺陣にキレがないのと(一応アクション女優なんだけどね)、キメのポーズが決まらないのが、キツイ。見得を切るのはどうしたって一朝一夕には行かず、こればかりは「天海祐希であればこんなフラストレーションは溜まらないのにな」と思ってしまった。こんなところで宝塚男役の有難みを感じてどうする。

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「ハムレット」

2004-02-28 13:00開演 東京芸術劇場中ホール

決して植本さんが出演してるから、ではないと思うが、「子供のためのシェークスピア」っぽい気がしたのは、これ如何に。間宮さんもいたしな。マント被ってるし、シューって云ってるし、チリンと鈴鳴らしてるし。2002年版を見た人が云うほど「?」と思うことはなかったけれど。ハムレットが死んだ後、フォーティンブラスのダンスが、ちょっと蛇足っぽかった。

安寿ミラのハムレットは、まず見た目から宝塚で男役やっていた経験というのは凄いな、と改めて思った。ハムレットは気が狂ったフリをしたり、ちょっと言動が怪しかったり、多少なりとも逸している人だけれど、逆に宝塚男役だった人が演じることで、年齢不詳にもなるし、彼が内に抱えている脆さが当たり前に見える(これはセリフには実はない)。 たぶん、男役経験のない女性の役者がハムレットを演じても、こうはいかないだろう。

余談:植本さんのオフィーリア、植本さんと云うだけで「何かを企んでそうな」オフィーリアに見えるから不思議だ。「子供のため─」では、だからきっと「何かを企んでそうな」ハムレットになるはず。いかん。

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平常 人形劇版「毛皮のマリー」

2004-01-17 20:00開演 ギャラリー LA CAMERA

各人形の繰手からさらには自身が欣也を演じると云うこともあり、本一冊覚えたものを頭の中から吐き出すのにいっぱいいっぱい、という印象。客席いじりもいらなかったかな。ただ、ト書きも科白に含まれていたこと、演者が若く含みがない分、いきなり美輪明宏のを観て呆然とユメウツツとなるよりかは遥かに、「毛皮のマリー」の内容だけは、よくわかるものとなっていたと思う。

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