観劇ノ記録-2004

「観劇ノ記録[impressions-西暦]」と題しているのに、ただの観劇(予定)表になっているのもどうかと…。観っぱなしという状態もナンなので、観劇メモです(宝塚編)。ただし、鮮度が落ちてしまったものは捨てました。


宝塚歌劇団雪組「青い鳥を捜して」「タカラヅカ・ドリーム・キングダム」

2004-11-30 13:00開演 宝塚大劇場

「青い鳥を捜して」

暴れたくなるほどひどいわけではないが、良いというのでもない。空気が軽いので肩は凝らないが、全然印象には残らない。石田作品の常とはいえ、なんかこう、もっとどうにかならないのだろうか、と思うところは多い。

小さな幸せはすぐそこにあるのに、「青い鳥」に振り回されているとなかなかそれに気がつかないよ、という主人公取り巻くメインストーリーは、ドタバタしているだけで、割とどうでもいい感じ。そもそもジェイク(轟悠)とケイト(舞風りら)には共感できないのが痛かった。また、フィンセント(朝海ひかる)の実母やジェイクの亡くなった母の臓器移植者のことなど話が出来すぎていて、おとぎ話とはいえ、「奇蹟」のなせる業にしてしまうのはちょっとずるいと思う。

だけれども、フィンセントと父アンソニー(立ともみ)のやりとり、その後アンソニーが亡くなった妻の写真に向かって最後にひとりごちる場面で、不覚にもホロッと来そうになった。フィンセントはヴァンサン〔「Romance de Paris」(2003年正塚晴彦)〕と境遇が被ってる気もしないでもないが、飄々とした見た目とその中に見え隠れする遠慮が、「そんな気を遣わなくていいのに」と思わせて、参ってしまった。アンソニーも、それは悲しいだろう。アンソニーと云えば、バーバラ(灯奈美)との熟年恋愛の雰囲気も良かった。

舞風りらが、今回は特出の轟の相手役ということもあり、朝海ひかるとは普通の良き友人という関係。対等な感じで、これはこれで新鮮である。他にも、女優ブレンダ(白羽ゆり)の周囲から浮いた感じがあるイミ飛んでてすごいな、とか、東南アジア某国(どこだ)に同行したエルグランド社社員(安城志希、沢音和希)の暑がりっぷり(暑すぎてやってられない感じ)がうまかった。

石田作品は、わざわざ探さなくても目に付くツッコミどころがいつも満載だ。小骨が喉に刺さったような不快感を覚える何かもある。それがどうも釣っぽいのが、また嫌なのだが。一箇所だけ釣られてみると、面談に同席した教務主任(貴船尚)は、確かにいじめは見抜けなかったしあの場で立ち会うにしても迫力不足だが、豚呼ばわりされるような悪いことをしているわけでもなし、ましてや初対面の見ず知らずの他人(ジェイク)にそんな風に云われる筋合いはないかと。

『タカラヅカ・ドリーム・キングダム』

正月の花組公演『アプローズ・タカラヅカ』と同様、藤井、斎藤、三木、と三氏による演出。三者三様にはならず、雰囲気がそれぞれ被りまくっている。だからなのか、山場はないのだが、パートごとに観るとそれぞれ好物。それにしても、どの演出家も、朝海ひかるを弄ってナンボ、というか脳内妄想放出状態なのが、すごい。使用楽曲も申し分ない。

藤井氏の「Rose」では「夢の王国」でプロローグの華やかさは残しつつ、薔薇収集家では、一転。朝海ひかるの ROSSO は貴婦人を侍らし伯爵夫人と頽廃的なムードで踊っていると思いきや、薔薇収集家(轟)を誘惑して絡むという。朝海と舞風のタンゴはさすが云うことなし。

斎藤氏「白昼夢」の、白いコスプレ大会な感じが、人力テクノ調な音楽と相俟って、おもしろかった。(あれは新宿らしいよ) 殺陣は、チャイナ服の女子に日本刀持たせるの、完全に斎藤氏の趣味だとしか。(最初『キル・ビル』の影響か、と思ってみたり) 山科愛の白い街のロリータは、普通すぎというかモガ風というか、タレントの千秋になってしまっていたのが、なんとも云えず複雑だ。もうちょっとちゃんとしたゴス・ロリな様子で来るのかと。勝手に想像してしまったのがいけないのだが。

白狼(轟)という字面からカッコイイ場面になるのかと思いきや、白い街は「銀幕街頭」ほどではないにしても、楽しい。

三木氏の「夢の城」は、若者が、彼が恋に堕ちた人形を抱きしめ夢を掴んだ途端、しっぺ返しに遭うというか、騎士やら人形やらとどめに夢の王に襲われ倒れるというあたり、夢夢しいとは云えないだろう。夜見る夢なのか、夢をかなえるの夢なのかも相当曖昧だし、それが本質なのかも。シュールと云えばシュールだ。

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宝塚歌劇団専科・雪組「花供養」

2004-09-02 14:00開演 日生劇場

近衛信尋邸を舞台に、徳川幕府の政策により権限が縮小される朝廷でお与津御両人との逢瀬もままならない後水尾天皇(轟悠)が遁世するまで、と云う話。

話自体が地味なのだね。加えて、出演者11名、歌も躍りもない芝居劇(植田歌舞伎の濃縮版、見終わってみたら新劇だった)で、作品の規模と劇場の大きさが、見事なまでに不整合。明らかに制作のミスとしか云いようがないのだが、何でこんなことになってしまったのか。90周年記念でもなんでもいいけど、日生劇場で上演するならばそれに見合った(更に集客の期待できれば尚よろしい)作品を選ぶか、もしくは、作品に合わせて劇場を選ぶべき。採算度外視なのだろうか。

逆に役者としての技量が問われるわけで、若手に絞って云うと、お与津御両人の白羽ゆり、近衛信尋の音月桂は、存在感は専科生に負けてはいなかった。確かに芝居も見た目も若かったが。中宮和子の山科愛は、ちょっと清廉さを意識しすぎてしまったかな。けれど、この若手三人組は良い勉強の場を与えられていると思うし、とりわけ音月は劇団に大事にされているなあと。

後水尾天皇は立場上どうしても朝廷としての権限回復(というか、徳川幕府への不満)を考えてしまうから、第四章(春の章)で出家するのにも、「覚る」と云うのとは違うように感じた。幕府への当てつけというか。お与津御両人が、物語の始めのほうから、後水尾天皇と心で繋がっていることが安心を得るための方便となり、ひいては徳川とか朝廷とか自分の立場とかというのはもう関係ないのだとしている(≒無になる)だけに、後水尾天皇は都合良く取り違えているような。秋の章で、ふたりの想いはひとつなのだけれど、なんとなく、お互いの想いの方向性が違っているようにみえるのは、そのせいかと思われた。

最後に、某生徒さんの一部ファンのカーテンコールが──出演者が頑張っているのはわかるけど──しつこすぎてみっともなかった。ああいう無理矢理なカーテンコールのおかげで、劇団が何かおかしな勘違いをする一面もあるのでは。

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宝塚歌劇団花組「飛翔無限」「天使の季節」「アプローズ・タカラヅカ!」

2004-04-22 18:30開演 東京宝塚劇場

「飛翔無限」

ナマ春日野八千代である。一挙一動、もう天然記念物を見るが如くである。飛翔無限は、観ているだけでお目出度いのである。

「天使の季節」

あまり後味がよろしくない。っていうか、祝典喜劇というココロガケはリッパだが、人が書いたものをまるで自分のものであるかのようにしたらダメだよね。まったくそっくりな『恋さわぎ』と云う演目を昔雪組で上演していた覚えがある。作・演出の名前が違うんですが。世界的に類型が多くあるとは思えないし、仮にあったとしても、異人さんに扮して騙す、女装して騙す、と云うところまでが同じとはとうてい考えられない。何か、劇団内部で取引でもあったのでしょうかね。

アッサーラ王子を病人に仕立ててしまう時点でもアレだが、「ぼけてるから病院に閉じ込める」という、隔離・排除する考え方も、どうも馴染めない。

加えて、二階席の観客を観客と思ってない作劇方法にも、呆れた。フォローもなし。舞台はお留守で、銀橋に何人か、あとの登場人物は一階客席に降りてしまうって、ナニゴトよ。二階は観なくてよろしい、ってことか。ふざけてるよな。(結構、周囲ブーイングの嵐だったのだが、こういう声は当然耳には入らないのであろう)

何はともあれ、良いとこなし。

# さお太さんと王子の臣官コンビは好き
# アッサーラを追いかけて、走り回ってヘタッてた近衛士官さんは、まっつ? みわっち? みちゅう? (知ってる名前を揃えればいいってモンぢゃありません)
# 近衛士官さんたちは、どちらかというとお笑いだと思う

「アプローズ・タカラヅカ!」

あまり引っかからないまま、サクサク進んでしまった。客席降りに関しては、二階席はもう呆れ疲れた様子。芝居に比べれば断然、普通のショーの客席降り程度だったし。(二連ちゃんで続くとどうもね)

齋藤君の部分は、あまり齋藤テイストが発揮されていなかったように思える。(イトシキヒトヨ準備中のため)(嘘) 「ゆうかちゃんが着てた衣装だ」とか「あひが着てた」とか、それはよくわかった。「裏町の堕天使」も、最初齋藤君の場面かと勘違いしてたのだが、藤井君だったのね。(白くなるぢゃん) 矢吹の兄貴(ボス)はやっぱりステキ。

いまいちよくわからない花組で、肉眼でわかった下級生娘役。それは桜一花だった。(85期で、小さいから)

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宝塚歌劇団月組「薔薇の封印 ─ヴァンパイヤ・レクイエム─」

2004-02-19, 2004-03-04 18:30開演 東京宝塚劇場

失われた五つの薔薇を巡る4つの時代のオムニバスではあるけれど、結局はいつもの小池さんの現代物(ドラゴンボールあるいは犬夜叉風)。だから内容的には「またこのパターンか」という感じで、どうでもいいというか。また、各話が一話簡潔でもそれぞれが関係性を持てば全体に纏まりが出たのではないか。

特に全体の話の流れから見ると、リディア(第一話)とポーラ(第三話)との間には、リディアは「一番若い」吸血鬼でかつ死んでしまうとはいえ、何らかの因果や縁があったほうが筋が通るのではないかと。いくら似てるとは云っても、赤の他人ではフランシスが想い入れるにはちょっとどうなのよ、と感じた次第である。いっそ似てもいないし面影も何もなければ、完全に別人でもいいと思うし。(リディアとポーラに「何か」あるとしたら、二幕にそれが挿入されるのか) ポーラが後に結婚した相手が薔薇の僧院で見つけた(フランシスの?)甲冑を英国に持ち帰ったというエピソードも、話にもっと絡ませれば、より因縁話めいてよいと思うのだが。

音楽は吉田優子先生で、すごくよいと思ったのは、「薔薇摘み歌」「薔薇の僧院の聖歌」。トラッドっぽいのは本当にうまい。

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宝塚歌劇団宙組「白昼の稲妻」「テンプテーション!」

2004-01-29 18:30開演 東京宝塚劇場

なんだか出てくる人出てくる人が、空虚さとか手応えのなさとか諦めとかを抱えて、でも生きてかなきゃいけない、みたいな話で。その中でオーギュウストはそういうのはもう関係なくて皆より一歩先に進んでたり、ルネは逆に早世したり。宝塚の作品としては、結構、虚無感漂う内容だという印象である。

大劇場で観劇した際にも思ったのだが、観終わった後にストンと腹に落ちないのだ。理由としてはだいたい次に集約されている。

まず前者。劇中劇だけど『オセロー』と、期待した私がいけない。そもそも、アルベールは「僕流のオセローをやる(現実に起こったことと『オセロー』を重ね合わせて、ランブルーズに意趣返しする≒『オセロー』ではないよ)」と宣言してるのだし。ヴィヴィアンヌ父母兄の亡霊と幼少自体のヴィヴィアンヌが出てきて劇中劇の『オセロー』を半ば乗っ取っるところが、混乱していておもしろかった。(註:亡霊ではなくて劇中劇登場人物、かもしれない…)

後者はそれはそれで納得できるので、やはり、やたらめったら何かを期待した私が悪い。スカイステージ「NOW ON STAGE」での花總まりのコメント(ヴィヴィアンヌも復讐を果たしたわけではないと、アルベールのやり方では物足りないと思っている、というようなこと)には膝を叩いた。

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