1997年観劇メモのうち、比較的短めの物は、ひとつのファイルに纏めました。
1997-12-16 19:00開演 スペース・ゼロ
よくできた話だな、と思った。ここ最近観た中では一番おもしろい。最後のオチはありきたりで全然意外でなかった。一幕あたりで終わりが見えたわけではなかったので、許す。下ネタで笑いをとるところをなくせばもっと時間が短縮できたのに、と思った。
シュールである。右腕と左耳を生きている人間からとったり(しかも、「死体から左腕と右耳」のはずなのだ)、右腕をとられた男がでてきたり、幽霊が介助したり、ばかばか人が死ぬ。体を分割された、サンタクロースの生首が喋るのも、ようわからん。とにかく不条理である。でもって、最後死んだ人があの世で会話するのだ。前(「フリドニア」です。私にとって)もそうだった。
殺人鬼は人を殺せど捕まらない。警察の前で名乗っても信じてもらえない。やりがいないだろうなあ、と同情する。殺人鬼の話は、別にいらないのではないかと思ったのだけど、ヴィクター・フランケンシュタインが作り上げたクリーチャー(ボリフ・カーロフのイメージによる)と、フランケンシュタインを語る上で、はずせないんだよ。かっこよくいうと、「自己存在の意義」っていうんですか?だからもうちょっと絡められていればよかった。
一番印象に残ったのは、やっぱり、犬山犬子さんでしょう。そして、二瓶鮫一さんは、さすがベテランってだけあった。それと、セットがなにげにすごい。「ダル・レークの恋」を観た後だったので、なんか宝塚っぽーいって思ってしまったのさ。
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1997-12-06 14:00開演 東京経済大学6号館地下スタジオ
ラッシュというスポーツをする人の話で、宇宙一のラッシャーと云われた男が負けて、はいあがってまた宇宙一になる。しかし、それだけに話は長くて、最後は散漫だし、話に絡み切れていない人はいるし、おもしろいと云えばおもしろいけど、それだけってのもね。なんとなくナイロン色が強くなっている気がしたのは気のせいかもしれないし、これがみつばちの真骨頂だって言われれば(違うような気もするけれど)、そうかなって思ってしまうけど。エンターテイメント性を強くするとか何とか、チラシには書いてあって、S.T.O.(S.P.O.だったかな?覚えてない)が歌うけど、どこがエンターテイメントなんだか解らなかった。まあ、小川セツ子(工藤さやか)だけが、「なんで小川セツ子なんだ〜」って感じで、個人的には結構好きなキャラクターだったりした。このまま彼女はコメディー女優になってしまうのだろうか。すごいシリアスをやらせたらどうなるんだろう。
とにかく、長くて、カツ兄弟はいなくても良さそうな感じがしたし、もっと短く詰めればもっとおもしろくなったんぢゃないかな、と思う。話自体はスピーディーな展開だったのだから。
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1997-1109 14:00開演 阿佐ヶ谷スタジオ・アルスノーヴァ
病院から帰宅した妻(上田美都)と、夫(大塚治)の話。特にこれといった山場があるわけでもなく、たんたんと、話が進んでいく。前回に比べれば観ていて楽だし好きだけど、ちょっと物足りなかったりして、なんて。精露路に続く、縁側ワールドなのである。
「何もやらなくてよい」「ありがとうとごめんなさいは言わない」という約束をして病院から帰ってきて、本当に何もしないのは、これ程つらいものはないんじゃあないのかな、と思った。かといって、病気をする前のことができるかというと、それはどうやら、ちょっと無理らしい。本当にすることと云ったら寝ることしかなくて、また、入院で夫と共有できなかった日常生活を自宅に帰ったことで改めて知って、ちょっと取り残されている感じが、「病院に戻った方がいいのかな」という妻の迷いになるのではないかな、と思った。
劇団からの案内状に書いてあったとおり、というか、大塚治さんはどこにでもいそうなふつうのおじさんで、なんだか、とっても好いのである。
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1997-10-23 13:10開演 東京経済大学構内
劇団「野戦の月」を主催している桜井大造氏のお友達が数人が来て、パフォーマンスをした。はじめに人形劇を教室で観た後、新次郎池に行った。講義が「海賊行為・スペースの解放」、実際やったのもパフォーマンスなので、当然ストーリー性はなく、そこに意味なんて求めちゃいけない。商業演劇とか小劇場とか見慣れているから、ちょっと違和感はあったけれど、たとえば歩行者天国の大道芸を、車を止めて国道20号線でやっているのを観ている感じ、と置き換えてみれば、ちょうどいいのかもしれない。行為そのものが目的なのだ。「学校」というシステムを緩和してみる試みで、でも、本当に一時だけでもうまく行ったのかな?と思わないわけでもない。これで粉川担当の講義は最後で単位評価をするから来てやった、という学生も多いし、もしかしたら、何にも変わっていないんぢゃないのか。だけども、10月14日付の朝日新聞の記事で大学が「管理者」たろうとして利用者である学生のことを考えてないか暴露されてしまったわけで、非常にタイムリーではあった。
講義の後、学生部長らしき教授が粉川さんのところに来ていたから、やっぱり学校に無断でやるのはお断りなのだろう。
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1997-10-19 12:00上映 聖蹟シネマックス
おもしろかった。
日曜なのに、観客総人数が11人で、「もののけ姫」を上映していた時とは大違いだ。時代は、2164年だか23世紀だかという、いったいいつ?というくらい未来なんだけど、欧米人の描く未来都市像って、やっぱりどこかみんな似ているのね。それはしょうがないけど。
基本的には、地球が危機で、救うにはアルマジロに似た宇宙人の持っている石を揃えなきゃって云う話。生/死、善/悪といった二項対立に、ブルドックみたいな何も考えてなさそうな宇宙人も介入。それでもってエジプトの神父(と弟子)がいなければ、どうすることもできなかったという、そこがおもしろい話だ。やっぱり古代文明は謎が多い分だけ宇宙人交信説が案外本当だったりして、と思ったりして。
だけど、アルマジロ宇宙人の遺伝子を再生をしたら、どうして人間の姿になるんだろう。武器商人は、何となく白人の演じるアジア人っぽかった。ちょっとだけ雪洲さんみたいだった。大統領まで白人にするとさすがにまずいから黒人だったけどさ。軍部の幹部っぽい人にも黄色の人がいたし。
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1997-09-23 9:10上映 吉祥寺プラザ
予告編を見たときは、もう絶対見ようと思っていたけれど、日本テレビがCMを打ちすぎるのでなんだかどうでもよくなってきちゃって。でもやっぱり見てとかないとな〜、ビデオ化待てないし〜、日テレでコマーシャル付きで見るのも嫌だし〜、ということで、見に行った。
「いい」とか「よくなかった」とかいう感想の前に、ただただ「凄い」としかいいようがない。見終わってから思ったのは、最後は「ナウシカ」に戻ったのかな、というものだった。もちろん「風の谷のナウシカ」よりも人間関係や、人と自然のつきあい方は複雑で難しいのだけど、いいたいことは同じなんぢゃないのか。共通点は結構あったと思うんだけどな。人の脅威となるのが森であること、森に生息しているものが巨大なこと、結局人は自然を壊していかないと生活できないこと。その手段はやっぱり火器というわけで。
作品についていろいろ考える、というのではなくて、作品を見ていろいろ考えた。実際にそういう活動をしている人には悪いのだけど、自然保護というものが胡散臭く思えてきた。自然とか地球とか持ち出してもどうにもならないんじゃないの、とか。ここで、もうどうにもなりませんって、言ってしまったらお仕舞い。これからどうしようか。
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1997-09-13 14:00開演 阿佐ヶ谷スタジオ・アルスノーヴァ
「セルロイド」に次いで、「わからな」かった。内容は解るし、人間関係は明白なんだけど、でも、どう解釈して(観て)いいんだかわからない。結局、ユダはマザコン少年だ、というところに私の中では落ちついた。私も含めて、なにかにモラトリアムな状態を保っている人って、案外ユダみたいなところがあるんぢゃないかな。ユダはその「なにか」がマリエ(名前からマリアを想像した)だったわけで、彼女を憎み殺さないと、シズルとは駆け落ちすらできない。だけどマリエは殺そうとするユダを憎まないために、彼は殺すこともできず、自殺してしまう。
わかるような、わからないような。マリエとユダの関係は、結構ありそう。シズルは、砂場を、時計回りに歩いているときと、反時計回りに歩いている時とで、最初は時間的に違う人だったけど、最後はユダを誘惑する「銀貨」になったわけだ(よね)。
密室バージョン編と云うことだけど、私にとっては初演で、先入観なく観ることができてよかった。でもストレートすぎて、きっと初演でエンターテイメントを含めて観た方が、きっと楽だったんだろうな。
@home > impressions-1997 > ユダの食卓
1997-08-17 15:00開演 THEATER/TOPS
良くも悪くもオッホだな。映画の撮影現場で発生するアクシデントを乗り越えるというテーマはあるけれど、やっぱりオッホの真骨調は、ナンセンスな笑いでしょう。間とか。楽しいし。といってみたりして。それよりも、スペシャルゲストで、ベターポーヅの西島さんがギター弾いているってほうが驚きだったのさ。フォークだよ。
@home > impressions-1997 > 陽性なのはどちらのほうか
1997-07-13 14:00開演 阿佐ヶ谷スタジオ・アルスノーヴァ
盛岡に帰省した兄(境利朗)と、盛岡でひとり暮らす妹(吉岡扶美子)のお盆での会話。楽しかったあの頃、東京と盛岡の違い。妹は、精露路を通って、魂の帰る場所へと帰っていく。7年間妹がそうしていたように、兄はそれを見送る。
昔から(それこそ、江戸時代から)うちは東京で、やっぱり東京で生まれ育った私には、故郷へ帰るということも、夏休みに田舎に行くということも、知らない。感覚的に帰るということがわからない。それに、帰ってくる者を迎える、ということも知らない。地方に就職したら、この気持ちが分かるだろうか。風琴工房のお芝居は、いつもちょっとだけ感傷的になる。私は東京の人なんだな、というのを自己再確認した。
私の友人が、田舎に帰ってもお客さん扱いで、という話をしていた。盛岡へ帰った兄は、中央線から四谷のお堀を見ると、アパートに帰るとほっとする、と妹に告白する。
お盆にあわせた作品なのか。うちは今日(7/13)ちょうど迎え火。祖父が此岸に戻って来る。
@home > impressions-1997 > 精露路
1997-07-05 19:00開演 パルテノン多摩小ホール
私たち観客は、ふたつの舞台の観客となる。ひとつは、戸川純の一人芝居「マリィヴォロン」の観客。もうひとつは、その中で戸川純の演じる旅役者の公演の客(と青木さん)である。そのふたつをいったり来たりするのだ。
戸川純というと、ふにゃふにゃしている印象しかなく、私の中ではずっと謎の女性だった。年齢不詳だし。一昨年も、高村光太郎の「智恵子抄」を観に行こうと思っていたのに、舞台は中止。そんなで彼女の芝居を観ることは、念願叶って、という感じなのだ。
旅役者が演じる一人芝居は、宮沢賢治の「飢餓陣営」、「やまなし」より「クラムボン」、それと「マリィヴォロンと少女」である。「マリィヴォロンと少女」を始めようとすると、いろんなアクシデント(それは肝心な車がとられてしまったり、使用するカセットテープが昼間カラオケの練習をしていた婦人会の演歌のテープにすり変わっていたり、挙げ句の果てに電源までが切れて停電、ということなのだが)が起き、敢え無く公演は中止になってしまう。なにしろ、照明から音楽まで一人でするのだ。いろいろ世話をしてくれた役場の青木さんを相手に、月明かりの中で上演するが、旅役者自身がマリィヴォロンと同じ状態におかれる。
賢治の「マリィヴォロンと少女」は未読であるが、「本当の幸せ」ということばがでてくるあたり、「銀河鐵道の夜」に近い印象を抱かせる。ブリカニロ博士の言葉をマリィヴォロンが言っているというか何というか。
かくして少女はマリィヴォロンに付いていかないでアフリカに旅立つ。青木さんは旅役者の言葉でしぶしぶ公民館を後にする。芝居は、突如終わる。お辞儀をする戸川純はこれから「マリィヴォロン」を上演しに本当に旅にでる。どこからが戸川純でどこからがお芝居なのか、不思議な舞台だった。
@home > impressions-1997 > マリィヴォロン
1997-07-01 17:00開演 東京経済大学葵陵会館小ホール
4月の公演でチラシのことを書いたからかどうかは定かではないが、今回は、チラシからよかった。おおざっぱな内容は、「人と接することが好きではない女性と、彼女に恋する男性のお話」(たぶん)で、結構どこにでもありそうな、といえばありそうな話である。でも、いいんぢゃない。みつばちにしてはお笑いに走っていなかったし。
「ルパン3世」の導入を連鎖劇にしたあたり、うまい。しかし、ナイロンもけっこう映写を活用しているから、ナイロン好きのミウラ氏がスタッフに入っていたってことは…
暗転の仕方がワンパターン。しかも多いし長い。日常と、映画の内容とを区切るというのはわかるけれど、せっかくテンポよく話が続いてきているのだから、それを断ち切るような暗転はなるべくやめたほうがよい。人数の都合もあるだろうけれど、暗転の時間をもう少し短くするようにして欲しい。心情吐露のところもスッポトに入っているのにさらに録音にしたのはなんで?
個人的には「ロバート&マリー」、「ルパン3世」といった、映画部分のほうが好き出し、出来がよかったような気がするんですけどね。
@home > impressions-1997 > vulnera
1997-06-09 12:30開演 東京経済大学葵陵会館小ホール
この前に文化会企画の開会式があるわけだけど、時間通りに始めよう。というか、何時から始まるか知らないんだけど。公演終わったら、13時10分を過ぎてたよ。
タイトルと内容がどう関係あるんだろう。でもこれ以外のタイトルも思いつかない。個人的には安藤先生(遠藤俊之)のつぶやきシローのまねが好きだけど、ちょっとしつこいような気がする。
笑いをとりにいくのは、悪いことではないけれど、あまりそれが多いようだと、かえってつまらなくなる。実際「オッケーでーす」はちょっと回数が多かったのではないかと感じた。時間的なことも考えてみたほうがよい。
次回、7月の公演を楽しみにしている。
それと、もう1コのほう、『実録・痴漢!その時あの手が…〜おっぱいポロリ〜』だけど、題名が観る気をそそらないのよねー。『厳流島』のチラシに次ぐ失敗かな。夏公演はそんなことがないように。
@home > impressions-1997 > か弱き子羊達は代弁者
1997-05-11 14:00開演 阿佐ヶ谷スタジオ・アルスノーヴァ
作・演出の詩森ろばの返事通り、今回は「わかる」作品だった。私は、限りなく中島(田辺日太)の云うことが理解できた。中島との共通項があったからかもしれない。もし、この作品通りに人間にも寄生植物がいるのなら、私のそれは、私に気付かれることなく死を迎えているのだろうか。
やはり、今まで観てきた作品と同列をなすものである。エンターテイメント性を排除し、かなり密度の濃い、裏を返せば長時間観ると精神的に疲れる舞台に仕上げられていた。従って1時間10分くらいが限度である。今回はこれに外での芝居がついていて、入園券回収の老婆を、道行く人たちは何事かと眺めていくのであった。
@home > impressions-1997 > 寄生植物園
1997-04-17 17:00開演 東京経済大学葵陵会館小ホール
あーおもしろかった。三谷幸喜脚本・演出(演出?)でパルコ劇場で以前上演されていたヤツ。陣内孝則が脚本の仕上がりが遅いので降板したという、あの「厳流島」である。
脚本そのものが持つ面白さももちろんあるのだけど、ちょっとした間とか気のきいたセリフとか、いちいち役者にあっていた。宮本武蔵は見るからにやる気なさそうだし、佐々木小次郎は焦りまくっているのがおかしい。ぬけてるお鶴もかわいいし、休右衛門は、いったい何?お寸ちゃんもよくわかんないところがいいし、佐助、この人がいちばんはまっていた。喜多重光氏、なかなかいいね。
今回一番の難点を揚げるならば、それはチラシである。もらったチラシは、行く気になるようなものではなかった。観に行く作品を決める要素として、チラシの担う役割はかなり大きい。次回は観に行きたくなるようなチラシを作って下さい。昨年の冬公演のチラシはよかったです。行かなかったけど(というか行けなかった)。立て看板はシンプルでいいんだけど、目立たなかった。観客は文化会の人とか関係者の知り合いという人(かくいう私もそう)が多くて、実際チラシを見たり藤田氏のパフォーマンスを見て来た人がどれくらいいたのか。あまりいないんぢゃないかというのが、私と藤田氏の意見である。
畳み掛けるセリフの時に、ちょっと聞きづらいかなという気もした。だけど話がポンポン進んでいくので、あまり気にならなかった。最後は少し散漫。おもしろかったので、ま、いっか。
@home > impressions-1997 > 巌流島
1997-03-09 14:00開演 阿佐ヶ谷スタジオ・アルスノーヴァ
はっきり言って、難解だった。少なくとも、私には。私に鑑賞能力がないのかもしれない。
不満なんかは、お芝居のあと劇場がサロンとして解放されて、今見た芝居の感想とかいろいろ語り合う場が設けられていたし、そこで云うべきことなので、書かない。
劇団が変わろうとしている、ということは一応わかったつもり。パンフも手書きでないし。内容は、私には難解だったけれど、決定的にいつもと違うなんてことはないとおもう。いつも(といっても「カスパー彷徨」「人魚の箱船(再演)」の二作品しか観ていないが)だったら劇場を走ったりしてみせていた部分をなくしてしまっただけではないか。走っているのを観て納得してわかったつもりになっていたのかもしれない。観る側も劇団員同様、篩にかけられているのかも。
@home > impressions-1997 > セルロイド
1997-02-07 12:50上映 日本劇場
「スクリーンで見たほうがいい」という友人の弁により、有楽町マリオンまで行った。確かにそうだった。ビデオで見ないほうがいい、と断言できるほどの迫力だった。はっきり云って、「凄い」としかいいようがない。
CGだってわかってるけど、スゴイのである。やっぱりそれ相当のお金かけてる。日本と違うね。宇宙人が侵略してきて、アメリカが中心となって地球の危機を救うという、「アメリカは世界の警察」的映画だけどいいのだ。つまり、これは逆説なんだって云うことなのだ。Power Bookのバッテリーを心配しちゃあいけない。つっこめるポイントはまだあるけど。なんで自衛隊の幹部が旧日本軍みたいな格好して変な日本語喋ってるんだ!?とか、大統領が第一線で戦っていいのか!?とか、墜落した円盤に乗っていた蛸足宇宙人の行く末は?とか。捕まえてきた宇宙人で人が殺された前例があるのに、円盤の横で万歳していていいんだろうか。いいのである。あの迫力の前では、全てが帳消しなのである。
感動する映画ではないし、あらすじはわかりきったものなのだけど、ストレスは発散した。私の場合は。長時間椅子に座っているのは、腰に悪いけど。
@home > impressions-1997 > ID4
1997-01-19 14:00開演 荻窪アールコリン
出演者5人の内3人までがベターポーヅの役者という公演。ベタポの公演とはまた違った「間」が面白かった。適度に笑わせてもらいましたし。でも、口調は、あまり変わっていなかった。それと、暗転とカーテンの開閉の手際が悪いような気がしたのは、私だけだろうか。しかし、まあ、アールコリンはなんて狭いんだろう。不自然な形で椅子に腰掛け、上演までの30分と開演してからの3時間、同じ姿勢はちょっと辛い。次回もやるようだったら是非スズナリで観たいなあ。あと、観劇の際は、携帯の電源は切りましょう。途中にピルルル、と入ると、集中できなくなります。役者も、客も。帰りに、荻窪のルミネ5Fに入っている大阪うどん「おいでやす」で食した鴨せいろは、大変美味でありました。
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