よもやま話(寶塚的小話)

No.61〜No.70 index

  1. 2000年公演ラインアップ
  2. FAKE LOVE
  3. 1999年を振り返って
  4. 砂漠の黒薔薇
  5. あさきゆめみし
  6. 観たいかも
  7. 2000年を振り返って
  8. 十二夜
  9. 厠考
  10. 観たいかも

2000年公演ラインナップ(大劇篇)

「来年のことを言うと鬼が笑う」というが、2000年の公演ラインナップが発表された。随分早いような気もするが、実はもう、そんな季節なのである。今年も忙しさにかまけてこのHPを放置したままだったな。

元旦公演の宙組は姿月あさとの退団公演になる。始めの新聞発表では「アラビアン・ナイト」だったが、(半)正式タイトルは『砂漠の黒薔薇』。昔のアラン・ドロンの映画にそんなタイトルのものがあったようななかったような…… ずんこさんの退団というのを除けば、なんだか冒険活劇風になりそうだと、勝手に妄想して期待している。

月組はなんとびっくり。齋藤吉正君がショー担当だ。『テンペスト』は観てないから知らないけど、もともとショー希望なのかな? 芝居のタイトルも『LUNA』だし、ショーのタイトルも『ブルー・ムーン・ブルー』で月づくしである。しかも、満月の黄色とか十六夜の不気味な橙色ぢゃなくって、冷たく青白い光を放っている感じ。

花組は『あさきゆめみし』。勘違いでなければ、草野さんの日本物って(『永久物語』を除けば)初めてのような気がするんだけど。私的には『あさきゆめみし』なんかよりも『とりかえばや物語』(氷室冴子氏の『ザ・チェンジ!〜とりかえばや異聞〜』の原作 いろんな意味でイッちゃってて面白い)のほうがイイナ〜。なんちゃって。

我らが星組は、コメントのしようがありません。エアポケット。また三木章雄氏がショー担当なんだ。劇団、何も考えてないね。『美麗猫(ミラキャット)』って云われても〜。中村Aも、中身がタイトル負けしないように。

そして雪組は、ひょっとして芝居の二本立てなのか!? とすると月組の齋藤君も芝居の可能性ってあるのかな?って月のことはおいといて、だとしたら、やるぢゃん劇団。『デパートメント・ストア』は、正塚さんっぽい小洒落たストーリー仕立てで日常が描かれているんだろうな。でもそれと獅子像しかタイトルから想像できない。でもやっと大劇場作品がめぐってきてよかったよ。本当に。『凱旋門』は、『デパートメント・ストア』がイギリス(と決まったわけではないが)の話なら、フランスである。勝ち鬨橋ではないはず。ナポレオンとかの話なのか?

一回りして宙組は、石田さんらしいショーが観られるのだろう(『ミレニアム・チャレンジャー』)。主題歌も覚えやすくて。でも芝居はちょっとコメントしにくいです。『望郷は海の果てに』って、どこかで聞いたようなタイトル…… 全然関係ないが『アルカディアよ永遠に』(1982年)って、私は絶対「キャプテン・ハーロック」だと思っているのだが、本当はどんな話なんですか?

ちょっと目が離せないのが、月組。『ゼンダ城の虜』である。野田秀樹である。しかも新東宝のこけら落としでもあったりする(再来年のことを言うと何が笑うのだろう)。しかし劇団もよく勉強しているね。「宝塚アカデミア」かなんかで誰かが『ゼンダ城の虜』の話をしてたぞ。『ゼンダ城の虜』はビデオで見たきりだ。今度時間ができたら見直してみよう。

そして、20世紀最後の公演を飾るのは、花組の『ルードヴィヒII世』『ASIAN SUNRISE』。植田景子氏大劇場デビュー。あの狂王ルードヴィヒII世だが、どこの部分を使うのか・・・エリザベートのエピソードなのか、ワーグナーなのか。『黄昏のウィーン』あたりを参考にするのかな。でも、あのルードヴィッヒII世だし、それだけで理由もなく期待するよ(謎の死というのが好きなのだ。カスパー・ハウザーとかも)。でもなんとなく繊細な話になりそうな予感がする。

すごいことに、植田紳爾が一本も書かない。来るべき「21世紀ベルばら」のために力を蓄えているのか、二足の草鞋を履くのをやめたのか、真相は謎である。

そして、2000年も太田哲則氏は、筆を執らない。劇団はなに考えてるんでしょうね。音楽学校の演劇の授業も大事だけどさぁ。(1999)

FAKE LOVE

久しぶりにゆっくり休みが取れたので、とりあえず溜まっているビデオを見ることにした。それが『FAKE LOVE』。『夜明けの天使たち(アルヴァ篇)』を見終えるのに2ヶ月かかったので、途中で挫折するかもしれないと思ったのだが、随分と楽にみることができた。変な言い方になるが、アルバート(姿月あさと)が主人公にもかかわらず何もしないので、それで根を詰めないで観ることができたからというのもあるかもしれない。ぢつは、サラ(美原志帆)とアルバートのどっちかというと日常的なエピソードよりも、「月夜の晩餐」をめぐる普通ぢゃない事件のほうに心奪われたりして、そのへんがまだまだコドモなのだが、おもしろかった。

楽なのである。アルバートとサラの関係から既に。ただ、サラはアルバートとの関係を持続させるために、楽な関係を保つという無理をしている。その無理がアルヴァートの目に触れたとき、彼は困惑し、サラは、関係修復はできないという判断をして姿を消すのである(と云う解釈をした)。ひとりで悩んでストレスを溜めているのはサラだけで、アルバートは本当に何もしない。最後、ジゴロは廃業して職探しだといわれても、その経緯が直接伝わってこないのだ。茫洋としているというのが姿月あさとの持ち味だとしてもさ。

サラは、いい女って云うか格好いいなと思った。自分の仕事はきちんとした上で、なおかつやくざな恋人の世話も焼いて。逆立ちしても自分はできない。男女問わないけど、ちゃんと自分の仕事をこなしている人って云うのは格好いい。アルバートの心情って全然伝わってこなかったけど、そういう人を目の当たりにすると、うらやましいし焦る。死んだ旦那がドンの息子だという普通でない境遇もアヤシイ。美原志帆には失礼だけど、紫ともで観てみたいなと思った。

特筆なのは、西條三恵。あまり本数も回数も観ないから、完全ノーマークな人だった。どんなに他人が騒いだって、観てないからわかんないぢゃん。どんな芝居するのか、とか。ホットドックほおばって喋ったり、それで地声だったり、自分の夢について語ったり、等身大で、でも浮ついてないところが好い。スケッチブックの最後に描かれたユダヤ人収容所の絵がとデッサンで止まっていたのは、収容されていたトラウマとナディーヌの現在の状況(父は反対するだろうから絵描きになりたいと言っていないこと)の表象だと思うんだけど、どうなんでしょう。その話題になるとふっと曇った表情に一瞬なるのも(そういう気がしたのだ)、呻ってしまうのだ。

ナチスの戦犯を追う組織の一員であるさお太とめぐさんは、ステロタイプのそういう感じではなく、そういう雰囲気を残しつつも職務に忠実で血が通っていていい。ジーンの三杉千佳も、うまい。嫁に手放したのは、宝塚にとってイタイ。画廊にいそうなというのは偏見だが、無口でちょっと喋り下手な様子とかマジメだから、かえっておかしい。

あと忘れてはいけないのが、檀れいの振られる女。ちょっと私がイメージしていた感じとは違ったが、髪振り乱してぐちゃぐちゃになって殴りかかるのなんて、ねぇ。しかし後半あっさり雇ったチンピラの居所を吐いちゃったりして。夏河ゆらの後継者と言われていたわけがわかったが、現在月組のトップ娘役である。う〜ん、人生ってわからない。でも、ふてぶてしいって云うかドウに入っているって云うか、ただ者ぢゃないよ、本当に。

5組化直前とは云え、随分おもしろい人材が揃っていた作品だったんだな、と実感した。(1999-11)

1999年を振り返って

振り返られるほど、熱心にファンしてなかったし、年間の一大事といったら、姿月あさとの退団発表ではないかな。ということで、1999年宝塚トピックランキング。

1位 姿月あさと退団発表

2位 月組中国公演

3位 文化庁芸術祭受賞

まずは、3位・文化庁芸術祭受賞について。『激情』『ザ・レビュー』が出展作品とは知らなんだ。っていうか宙組ってまだ一度も劇場で観てない。芸術祭のなんの賞を受賞したのか、新聞をちり紙交換に出してしまったので忘れてしまったのだが(まあ『歌劇』2000年2月号に載るでしょう)、目出度いことである。とは云っても、『ザ・レビュー』はおまけ受賞だと思う。どうでもいい、というとアレだけど、花組を観る限りぢゃ内容的には受賞に値するほどではなかったから。少なくとも『激情』と出演者に対しての受賞ではないかと。詳しくは『歌劇』2000年2月号やね。

月組中国公演は急遽決まった公演だった。木村信司氏の『十二夜』は東京には来なかった。NHK衛星第2放送を録画したビデオはまだ観てない。で、これは何が云いたいかというと、外国でセコク金儲けするなよ、ということである。チケット料金がべらぼうに高い。平均年収以上の値段というのがふざけてる。使用した劇場が京劇や何かを観るのでもそんな値段なら、それは「普遍的」かもしれないけど、でもそれでは一部のインテリゲンチャしか観られない。「文化交流」を冠にしている公演のわりには文化交流できないんぢゃ、と思うのだ。それに宝塚側の意図はいつも「タカラヅカの紹介」に始終して、政府間の決めごととは云え「日中文化交流」にまで発展していないのではないかな。そんなわけで、あまり肯定的になれない。

姿月あさとはオンガクだった。舞台上で醸していた無垢さが好きだった。張りのある声で朗々と歌うのが好きだった。あの声が好きだった。でも、宙組はまだ一度も劇場で観てはいない。(1999-12)

砂漠の黒薔薇

アラビア物である。座談会で「遠山の金さんっぽい」との発言もあり、展開もわかりやすそうだ。音楽もアラビア風でさ(たとえば、DEEP FORESTの「CAFE EUROPA」っぽいのとかがあれば、それだけでポイントは高い)。アクションもありそうだし、わたしは非常にウレシイのである。やっぱ、アクションははずしちゃダメだよね。それにハーレムのダンスもあるって云ってたし。座談会読んでて黒薔薇の正体がばれちゃったとか、なんか気になる発言(イスラムがどうのとか、そんなこと気にしなくてもいいのに)はあることにはあるのだが、元旦の舞台中継が楽しみである。姿月あさとの退団公演になってしまうので、ただでさえチケットの取れない宙組なだけに、はたして1000days劇場で観ることができるのか?(1999-12-31)


アッ、等倍のはずが3倍速録画モードになってる。おまけにタモさんのコメントも尻切れちゃってるぢゃんか。でも元旦生中継って、本編だけでもあとで放映されるんだっけ? ってことはまあいいとして、『砂漠の黒薔薇』。やっぱり現世を忘れるには活劇だ。もっと血沸き肉踊れば申し分ない。

とてもわかりやすいし、他愛ない。「なんで王子が盗賊やってんだよ」とか細かいことを気にしちゃあ、いけない。時代劇と思って割り切って見るべし。でないとツラくなる。だけどアリシャール(姿月あさと)が最後王位を継ぐってのはどうかな〜とも思う。ハルン(夢輝のあ)が死んでしまうってのも、ぢゃあ彼はなんで出てきたのって感じである。個人的には、アリシャールは王位継承をハルン(死なない)に譲り、マリヤーナ(花總まり)を振りきって(または伴って)旅立って行く……というのが、スジではないかと。あと、亡国の王子(和央ようか)と姫(南城ひかり)っていう設定はステキだが、騎士(湖月わたる)まで登場したので、それはいくらなんでも詰め込みすぎだし、都合よすぎ。でも、正月から暗いもの見せられても気が滅入るし、退団公演と思わせないノリで、良いのかもしれない。

ワタシ的には、女を侍らしていてもちっともイケてないアリシャールに絡むマリヤーナ(ハレムに潜り込むんだこの人は)が、好きである。彼が好きで追っかけてる部分と彼の真相を探るためというのが、気に入った。アリシャールもこのときばかりはなぜだかまんざらでもなさそうなのだが、それは実はマリヤーナと気付いているからか。

が、そんなこと言っても、細かい疑問はでてくる。

時代劇としてみるか、ドラマとしてみるか、そこらへんが好みの別れどころだろう。(2000-01)

あさきゆめみし

『あさきゆめみし』。大和和紀の原作はちょろっとしか読んでないし、『源氏物語』だって授業と受験で出てきたところくらいしかまともに知らない。かつて月組で上演された『新源氏物語』は一応観たけど、それくらい光源氏とは疎遠である。

ほんとうは、光源氏より『とりかえばや物語』(平安時代後期 作者不詳)のほうが内容的に無茶苦茶でイッちゃってて、宝塚という空間的にも、そっちのほうがおもしろいと思うのだ。氷室冴子の『ザ・チェンジ〜とりかえばや異聞〜』は読んだことないけど、原作よりずっとマイルドなのだろうね。こちらは高声低声にごくたまにだけど上演希望が載るくらいだし。

でも、『あさきゆめみし 〜Live in a Dream』だっけ? 元旦にちょろっとさわりだけ流していたのを見て、楽しみにもしているのだ。もちろん撮影・編集に関わる部分にもおおいに関心はあるけれど、光源氏と藤壷の濡れ場……(?) 藤壷に限らず、接吻もなにもコトを暗示して終わりって気がするが…… まあすみれコードがあるし、さすがに生徒に生キスさせるわけにもいかないだろうし、そしたら世のオヤヂどもの格好の餌食にもなってしまふ(間接表現なら御簾に投影という手はあるな)。それにしてもだいたいNHKも拾ってくる映像がいちいちアヤシイ。愛華と大鳥が揃って映ってる画がそこしかなかったのか?

私、原体験があって、思えばはじめて『あさきゆめみし』を読んだ時期がコドモすぎたんだな。今読めばきっと、というか全然そうは思わないのだろう。「『あさきゆめみし』=エッチな漫画」というすり込みができているので、なんか宝塚にしてはえらいもんができあがるんぢゃないかと、期待半分不安半分ってところである。

ただ、どこの局でも予告のこわいところは、その場面が思った場面ぢゃなかったってこと。すごい重要に違いないとか思ってみてるとそうぢゃないことのほうが圧倒的に多いからな〜 泣きを見ないためには期待しないほうがいいな。あと、宝塚の場合TVドラマ化のほうが当然イレギュラーなので、実際の本公演でどうなるか。テレビとはまったくの別物になると思われるし、そうでないと困るのだが、はずしてほしくはないものである。いろんな意味で。 (2000-01)

観たいかも

『シュリ』

愛する二人が結ばれないのはロミオとジュリエット以来だけど、とても宝塚的内容。もう某CX系ドラマ「2000年の〜」は、スタッフ関係者には申し訳ないけれども、あまりにも稚拙で。ぜひとも宝塚で『シュリ』を観たいぞ。でも主な登場人物が植田紳爾氏の作品くらい少ないから、バウかな。でもバウだと狭い。

真琴つばさ:ユ・ジュンウォン〔韓国情報局OPの情報部室長。イ・バンヒ捕獲の任を帯びている〕
檀れい:イ・バンヒ〔北朝鮮工作員。ジュンウォンが追う謎の敏腕スナイパー〕
檀れい:イ・ミョンヒョン〔ジュンウォンの恋人〕
紫吹淳:パク・ムヨン〔北朝鮮第八特殊部隊長〕
初風緑:イ・ジャンギル〔ジュンウォンの相棒〕
大和悠河:オ・ソンシク〔コネ入社したOP局員〕

星奈優里のイ・バンヒが見たいので星組に振りたいところではある。星奈さんがライフルやら拳銃やらを構える姿は、ぜったいにカッコイイと思うのだが、そんなことを思うのは私ぐらいなのだろーか。愛するジュンウォンに銃を向ける姿とか星奈さんのイメージがある。でも、彼女の場合芝居がウェットになる傾向があるので、バンヒ/ミョンヒョンには檀れい。イ・バンヒの時の感情を下に押し隠した美貌は素敵かも。それとミョンヒョンの熱帯魚屋というのが檀れいっぽい感じ。

パク・ムヨンは紫吹淳。他を威圧する圧倒的カリスマ性は下級生では絶対に出せません。かといって専科というのとは違う。南北統一という野望と、密かにイ・バンヒを愛しているのでそこらへんも存分に見せて、過去の因縁+バンヒを巡ってジュンウォンと火花を散らしていただきましょう。初風緑はジュンウォンの相棒であるイ・ジャンギル。やくざな遊び人の感じで、でも実はジュンウォンとともに優秀なOP局員である。小説のほうでは、ジュンウォンの腎臓を移植されていることが書いてあった。それも合わせてジュンウォンと友情を育んでもらいましょう。そして、OPの水槽係には、大和悠河。コネ入社なので水槽係だし、ジャンギルにはいじめられるし、研究室のCTXにもビビっている腰抜けだが、そのおかげで最後お手柄なのである。ヒネてない分難しいけど、大和悠河の身の丈には合っているんではないでしょうか。

もちろん真琴つばさは主人公のユ・ジョンウォンである。『冷蔵会社』の社員の割にはスタイリッシュすぎるが…… 前半はまだそれでも和やかな雰囲気があるので、マミさんならではの軽さとかも期待できる。またバンヒを追い、ピストルを握っている姿はカッコイイに決まっている。ミョンヒョンの本当の姿を知って愕然とし、苦悩する姿も似合うでしょう。最後のイ・バンヒと対峙するシーンも(バンヒもそうだが)、愛する人を自分の手で殺すのが相手にとって最良の幸せという現実を、一言も言葉を交わさずに銃を向け合うのが綺麗な二人だけに緊迫した凄いものになりそうである。

宝塚版にあたっては、ヒドラの話はカットでもいいかな。携帯電話の留守電は泣かせるポイントなので残しておいて、最後のミョンヒョンに貰ったキッシグラミーを本物のミョンヒョンに渡しにいく場面(ソニーのヘッドホンで主題歌を聴いているシーン)は、あってもなくてもいいや。友人は、ジュンウォンとミョンヒョンをキッシングラミーに見立てて、ミョンヒョンが死んだからジュンウォンもあの後死ぬんだと云っていたけれど、そのあたりは映画同様ぼかしておいて良いと思う。生きていたら『螺旋のオルフェ〜韓国篇〜』もできるし、ということで、演出は荻田君で決まりである(ちなみに正塚さんだと続きは『二人だけが悪』になる)。植田景子さんで、限りなく宝塚的に綺麗にしてもらうっていうのもいいなァ。(2000)

2000年を振り返って

更新の間があきすぎ・・・

それはともかく、とうとう、なんちゃってファンに成り下がってしまった。とりあえず宝塚に限ってみれば、自分的には観たほうではあるが、宝塚系のwebサイト立ち上げているほかの人たちと比べたらまだまだ甘い。比べても意味はないけれど、(カネ・ヒマ・)根性がないので、見続けることにかなりの労力を要してツライな。宝塚以外のものも含めて年間最低50本という年頭の目標も・・・

新専科制度とかベルリン公演とか、真琴つばさの退団発表とかいろいろあったが、挙げるなら次のもの。

1.星奈優里の退団発表

稔幸が退団発表した時点で覚悟はしてたけどさ、なにも「ベルばら」でアントワネットでなくたっていいぢゃん。っていうか、なんでオスカルぢゃなくてアントワネットなのさ。星奈さんの退団はそりゃもう残念極まりないし淋しいけれど、それ以上に退団公演の作品が「ベルばら」というのに凹んでる。ノルさんと同時発表でないのもムカツクぞ、劇団。しかし、何度喪失の恐怖を味わえばいいのだろうか。

2.稔幸の退団発表

あー、ノルさんも・・・。「ベルばら」だし、イレギュラー公演で大劇場サヨナラだし、煮え切らないんだな。

3.「ベルばら」再演

ふざけちゃいけない。こけら落とし公演でないだけまだましなのかな〜。昭和から平成に変わった時もそうだったけど、やっぱり世紀が変わった途端に持ってきた。やることがセコイねー。しかも演出谷正純氏だし。この時点で観る気しないけど、ほら、星奈さんとノルさんの退団だからさ、たぶん観に行くでしょう。あ〜あ。

次点.貴咲美里の退団

個人的に「ちょっと待って」だったのが、貴咲美里の退団。彼女とはタメ年なので、入団したときから気になっていたし、最近頓におもしろくなってきた矢先だったので、寝耳に水というか。なにもやめることないぢゃ〜ん、と思ったし、今でもちょっと思っている。ちなみに美椰エリカの退団もびっくりよ。もったいない。

2001年の宝塚に期待すること

1.ノルさんと星奈さんのサヨナラバウは

そりゃもう、こってりとして濃厚な、尚かつHで気持ちのいいラブシーンがある作品をやりましょう。これ、このコンビでは観てません。このコンビでないとできません。もちろん芝居で。

2.「黒衣の貴婦人」

漫画「ベルばら」の番外編に入っている作品だけど、サスペンスで、宝塚でやればきっととてもおもしろい。っていうか、やって。(2001-01-03)

『十二夜』

NHKで放映されたのはもう随分と前だが、やっと見ることができた。私は青山雪菜が出ていたのを見て『十二夜』を知ったのだが、シェイクスピアの作品の中では好きなほうだったりする。

さて、舞台放送の前の座談会でああいうことを言ってはいても、オーシーノ公爵を主役に持ってくるのであれば、しかるべき改変と演出があってもよかったのではないかな、というのが第一印象だ。出てきて歌って踊って終わりでは、「主役」といえどもかなり辛いものがある。若く文武に秀でた公爵という設定にしたのだし、なんかそこらへんをいじってあげられればよかったのではないか。宝塚オリジナル(?)の演出としてシザーリオとのキスシーンもあるのだが、オーシーノのシザーリオへの想いの推移も中途半端なために(ここもいじればおもしろくなると思う)シェイクスピアの『十二夜』を丁寧になぞっていたけれど主人公はオーシーノ、というへんてこな『十二夜』にならずにすんだのではないかと思う。

本当は主役のシザーリオは、もうちょっと少年に見えれば文句なしだ。本当は恋に堕ちるのに性別も年齢も人種も国籍も宗教も関係ないのだけれども、オリヴィアが恋の炎を燃えあがらせるにはコドモっぽい気がする(オリヴィアが単なる好き者にしか見えない)。しかし、「おまえが愛したものすべてに」と頬にキスするオーシーノの顔を引き寄せ、思わずキスしてしまうのは、好きな場面である。「思わず」というのがツボなのである。少年に扮しているとはいえ、やっぱり娘役もこのくらいしないと。ちなみに、シザーリオに突然キスされ驚き惹かれるオーシーノだが、「シザーリオが女だったら愛する」と言いこそするが、小姓シザーリオに対する感情に対して否定的ではないので、それはよかった。

背景の青空や簡素なセットや音楽の入り方や主題歌があまり宝塚を感じさせくて(=パルコとか文化村で観ているみたい)、でも宝塚でおもしろかった。(2001-02-12)

厠考

活動場所が特定されている私は、各ポイントにお気に入りの御手洗いが存在している。お気に入りの由縁は、1)個室が広くゆったりしている 2)きれいだ 3)洋式がおまけではない

観劇の際の御手洗事情は重要な問題である、と勝手に思っている。なにしろ日本青年館やACTシアターや地方公演の時のなどは、開演前も幕間も見苦しいまでの長蛇の列で、はっきり云ってイヤになる。旧東宝の時も開場して座席に荷物をおいたら速効用を済ませ、幕間には絶対に行かない、と決めていたくらいである。それはもうダントツに数が少ないからに決まっているからだが、やっぱり劇場が新しくなると、そこらへんが改善されるのは当然といえば当然なのである。

【宝塚大劇場】1)☆☆☆ 2)☆☆★ 3)☆☆★ 満足度)☆☆★

まず館内に点在しているのがありがたい。劇場内はパウダールームもついていて、なんだかゴージャスなのである。

【旧東京宝塚劇場】1)☆★★ 2 ☆★★3)★★★ 満足度)☆★★

根本的に御手洗の箇所が少ないうえに個室の数もあまり多くなかった気がする。よく引き合いに出される、男子トイレにご婦人が…というのは本当である。タイル張りでフツーの御手洗いだった。しかし1000日経るとこうも記憶が…覚えてない…

【1000days劇場】1)☆★★ 2)☆☆★ 3)☆☆☆ 満足度)☆☆★

まさに仮設劇場の御手洗であったが、個室の数がとても多かった(上下に1カ所ずつ合ったが、きっとあれでも足りないくらいだったのだろう)。とりあえず数優先のため、個室はあまり広くない。そこはかとなくアンモニア臭がしたのと流水音がないのを除けば、きれいだし、荷物置けるスペース(?)もあり、よくできていた。洗面台の数がやたらと多かったが、並びのスペースとして無駄に多かったわけではないのがエライところである。

【東京宝塚劇場】1)☆☆☆ 2)☆☆☆ 3)☆☆☆ 満足度)☆☆★

劇場内のあちこちに点在している。回転が速く並んでもめちゃくちゃ待たされる感じはしない(ただ単に運がいいだけかも)。入り口は狭く、入ってくる人、手を洗う人、出てくる人でごった返している。ロビーは特に出入り口が狭いが、そこはそこ。さすがセンターにあるだけあって、入り口と出口が違ううえに個室も洗面台も他の場所より多い。幕間はロープを張られてちょっと異様だが、場所柄仕方がないか。東宝は新しく建て直した割には、全体的にどこも足が弱かったり不自由だとキツイ造りになっている。障害者用も見あたらないし…気づかないだけ?(2001-06-17)

観たいかも

当然ながら、他の舞台や映画、本でも、普段から目にしていないと「あ、これ宝塚でやったらおもしろいだろうな」というものは思い浮かばないものである。私は通勤時間は日頃の睡眠不足を補うべく車中で寝ていることが多いのだが、時々疲れすぎて頭が冴えてしまうことがある。そういうときに行うことと云えば、1.吊り広告を読む 2.近くの人の新聞(や雑誌)を覗き読み 3.周囲の人間観察 なのだが、最近は本を読むことにした。

おもしろそうと思うとすぐに「宝塚ではどうだろうか」と考えてしまうのは、ファンの性。(そうか?) 配役・演出を妄想するのも楽しいのだが、漠然と「これはタカラヅカ的にイケてる」とエツに入るのもオツなものである?? この間から夏目漱石の『倫敦塔』(新潮社/平成5年5月25日/65版)を読んでいるのだが、これは『アロー・アロー・キャメロット』(1994年/花組/太田哲則演出)の時に、購入した本だ。この中に納められている『薤露行』はアーサー王物語に因っているのである。匠ひびきが円卓の騎士ランスロットを演じていたのだ。『アロー・アロー・キャメロット』はシニカルな笑いのあるマーク・トゥエインの原作で、これも借りて読んだ。

さて、『倫敦塔』は、漱石が英国留学したときに訪れたロンドン塔で想像したことや印象を綴った回想録だ。わざわざ文中に「お断り」されているので、案外彼はそこで「見た」のかもしれない。漱石(と思しき人物)の眼前に現れては消える牢獄の幻、いつしか夢と現が入り混じり・・・。 と書くと、ありきたりなショーの一場面のあらすじになってしまうが、そういうことである。

ここのところハマっているシェイクスピアでは『ヴェニスの商人』。だいぶん過去に上演されているが、なぜだかなんとなく、ポーシャ=紺野まひるというイメージがある。娘役が同じ男装するでも『十二夜』よりかは無理がないかな、などと考えてみたりして。(『十二夜』も最近だけど、シェイクスピア作品の中では一番おもしろいので、また観たい) でも単純に法服が見たいだけかもしれない。有名な「肉一ポンド」は、大岡裁きみたいで、ちょっとそそられるのである。『オセロー』なんかも、たとえばイアゴーを娘役がやると、どうなるんでしょうかね。最近の宝塚は何でもあり状態だから、こういうのもアリなのでは?

『義経千本桜』からは「忠信編」である。歌舞伎で観ればいいのだけど、歌舞伎とはまた違った具合で、宝塚的な脚色もできそう。権太編は意外と素直に宝塚でもできる(でしょう?)ので、パスするとして、忠信編は、一歩方向を間違えると夏休み子供スペシャルになりかねないところをそうならないように、主役は子狐ということをいかに自然に見せるかがポイント。なんといっても、両親狐の皮が張られた鼓の側にいたいがために、義経の家臣佐藤忠信に化けて、それを所持する静御前のお供をし、そして、義経に源九郎の名と鼓を与えられたお礼に、狐の霊力をもって義経を危機から救うのだから。ほかの歌舞伎作品では『小栗判官照手姫』あたりも、なかなかイイ感じかも。(2002-02-03)


文責:Kobayashi Yuko